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ヨナス・ビヨークマン : ミニ英和和英辞書
ヨナス・ビヨークマン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨナス・ビヨークマン ( リダイレクト:ヨナス・ビョルクマン ) : ウィキペディア日本語版
ヨナス・ビョルクマン[ちょうおん]

ヨナス・ラース・ビョルクマンJonas Lars Björkman, 1972年3月23日 - )は、スウェーデン・バクショ出身の男子プロテニス選手。ダブルスの名手であり、すべての4大大会で男子ダブルスのタイトルを獲得(通算9勝)した数少ない選手のひとり。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。ATPツアーでは、シングルス6勝、ダブルス54勝をあげた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
6歳からテニスを始め、1991年にプロ入り。男子テニスツアー下部組織の大会を回っていた頃、1993年4月に名古屋で行われたトーナメントでパトリック・ラフターを破って優勝したこともある。同年の全米オープン4大大会初出場を果たす。1994年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップスウェーデン代表選手となり、1994年1997年1998年の3度スウェーデン・チームのデ杯優勝に貢献した。
デ杯初優勝を飾った1994年は、全米オープンの男子シングルスで準々決勝に進出した(対戦相手はミヒャエル・シュティヒ)。1996年アトランタ五輪スウェーデン代表選手として初出場したが、シングルス・ダブルスともに1回戦で敗退した。
1997年にヨナス・ビョルクマンはATPツアーでシングルスで初優勝を果たし、この年にシングルスで3勝をあげたほか、全米オープンでは、自身初の四大大会ベスト4に進出(対戦相手はイギリスグレグ・ルーゼドスキー、1-6, 6-3, 6-3, 3-6, 5-7 のフルセットで惜敗)した。
その後は、主にダブルスで好成績を残す。1998年全豪オープンでは、ヤッコ・エルティンオランダ)とペアを組み、トッド・ウッドブリッジ&マーク・ウッドフォード組を破り、4大大会ダブルス初優勝を飾った。
1999年全豪オープン男子ダブルスでは、パトリック・ラフターとペアを組んで2連覇を達成(対戦相手はマヘシュ・ブパシ&リーンダー・パエス組、6-3, 4-6, 6-4, 6-7, 6-4 で競り勝った)。
2001年全豪オープン男子ダブルスでは、トッド・ウッドブリッジとのペアで2年ぶり3度目の優勝を飾った。
このウッドブリッジとのペアでは、2002年から2004年にかけてウィンブルドン男子ダブルス3連覇を達成している。加えて、2003年全米オープンにおいて、ウッドブリッジと組み男子ダブルス初優勝を果たした。
そして2005年全仏オープンでは、ベラルーシマックス・ミルヌイと組み、アメリカマイク・ブライアンボブ・ブライアンを 2-6, 6-1, 6-4 の逆転で破り、同大会男子ダブルス初優勝を飾るとともに、男子ダブルス生涯グランドスラムという偉業を達成した。
2006年全仏オープンでもミルヌイと組み、前年同様、ブライアン兄弟のペアを破り男子ダブルス2連覇を成し遂げた。これが、自身最後のグランドスラムタイトルである。(ウッドブリッジが2005年に引退した後、ビョルクマンは2007年まで大半のトーナメントでミルヌイと組み、現役最後の年2008年ケビン・ウリエットと組んだ。)
また、この年、ビョルクマンはウィンブルドンで同大会シングルスで自身初、四大大会では9年ぶり2度目となる準決勝進出を果たした。1回戦で、第12シードで同じスウェーデントーマス・ヨハンソンを 3-6, 7-6, 6-1, 6-1 で破って弾みをつけ、4回戦・準々決勝とフルセットの激戦を勝利(準々決勝は、第14シードのラデク・ステパネク )、準決勝では、第1シードのロジャー・フェデラーに 2-6, 0-6, 2-6 と完敗した。
その2年後の2008年ウィンブルドンでは、男子ダブルスでケビン・ウリエットジンバブエ)と組んで4年ぶり4度目の決勝戦に進出したが、第2シードのダニエル・ネスターカナダ)&ネナド・ジモニッチセルビア)組に 6-7, 7-6, 3-6, 3-6 で敗れて優勝を逃した。
2008年のシーズンを最後に36歳で現役を引退、17年間のプロ生活に終止符を打った。
なお、ビョルクマンは2013年10月、地元のストックホルム・オープンのダブルスにロベルト・リンドステットと組み5年ぶりにツアー大会に出場し準優勝している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨナス・ビョルクマン」の詳細全文を読む




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