翻訳と辞書
Words near each other
・ ユリアン・アルプス
・ ユリアン・アルプス山脈
・ ユリアン・アンドリーセン
・ ユリアン・オレフスキー
・ ユリアン・グリーン
・ ユリアン・シェルナー
・ ユリアン・シトコヴェツキー
・ ユリアン・シーバー
・ ユリアン・スハーデル
・ ユリアン・スヘーデル
ユリアン・セミョーノフ
・ ユリアン・ソホツキー
・ ユリアン・ドラクスラー
・ ユリアン・ナーゲルスマン
・ ユリアン・ノール
・ ユリアン・バウムガルトリンガー
・ ユリアン・フォンタナ
・ ユリアン・フォン・カーロイ
・ ユリアン・ブラント
・ ユリアン・マルフレフスキ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ユリアン・セミョーノフ : ミニ英和和英辞書
ユリアン・セミョーノフ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ユリアン・セミョーノフ : ウィキペディア日本語版
ユリアン・セミョーノフ[ちょうおん]

ユリアン・セミョーノヴィチ・セミョーノフ(、1931年 - 1993年)は、ソビエト連邦ロシア小説家推理作家スパイ小説作家。男性。モスクワ生まれ。
ソ連きってのベストセラー作家であり、また政治ジャーナリストとしても知られた。ソ連の書記長にもなったミハイル・ゴルバチョフの友人であり、顧問でもあった。〔『春の十七の瞬間』あとがき参照〕
== 略歴 ==
1931年、モスクワに生まれる。父はユダヤ系の政治家、記者。母はロシア人。〔
モスクワの東洋学専門学校()でアフガニスタンの言語を専攻し〔飯田規和(1965)参照〕、卒業後、モスクワ大学歴史学部東洋科の講師となる〔座談会「F・デュレンマット、Ю・セミョーノフ、G・シェルバネンコについて」参照〕。1955年よりソ連の大衆誌『アガニョーク(ともしび)』の記者となり、ソ連各地や国外を歩き回り、シベリアや北極にも赴いた。ジョン・F・ケネディホー・チ・ミンチェ・ゲバラにインタビューしたこともある〔。
1958年、文学雑誌『ズナーミャ』に短編シリーズ『地質学者リャビニナの五つの物語』を発表したころから本格的に作家活動を開始し、翌1959年には、ロシアの東洋学者の悲劇的な生涯を描いた中編小説「外交官」で注目を集めた。
1963年には、モスクワ警察の3人の刑事が強盗事件を捜査する警察小説『ペトロフカ、38』を発表し、一躍人気作家となる。この作品は発表後しばらくして本人により戯曲化され、モスクワの劇場で上演され人気を博した。のちの映画版のシナリオもセミョーノフ本人が手掛けている。
『ペトロフカ、38』の成功によりセミョーノフは警察の記録保管所に出入りできるようになり、また刑事の実際の捜査に同行することも許された。セミョーノフはその後も、『ペトロフカ、38』に始まる刑事コスチェンコシリーズや、ソ連の諜報部員スティルリッツを主人公とするシリーズなど、推理小説、スパイ小説を書き続けた。
1986年には、メキシコの推理作家パコ・イグナシオ・タイボ二世らとともに国際推理作家協会を設立(ソ連・ロシアでは「国際推理小説・政治小説協会」())。
日本では飯田規和の翻訳で前述の『ペトロフカ、38』が早川書房から刊行されており、その関係でセミョーノフは日本の早川書房を訪れたこともある〔。ほかの日本語訳に、スパイ小説『春の十七の瞬間(とき)』などがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユリアン・セミョーノフ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.