翻訳と辞書
Words near each other
・ モンゴル国の首相
・ モンゴル国サッカー連盟
・ モンゴル国営放送
・ モンゴル国料理
・ モンゴル国歌
・ モンゴル国立大学
・ モンゴル国関係記事の一覧
・ モンゴル学
・ モンゴル岩塩
・ モンゴル帝国
モンゴル帝国帝位継承戦争
・ モンゴル教育大学
・ モンゴル文化教育大学
・ モンゴル文字
・ モンゴル文学
・ モンゴル料理
・ モンゴル族
・ モンゴル族 (中国)
・ モンゴル日本センター
・ モンゴル時間


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

モンゴル帝国帝位継承戦争 : ミニ英和和英辞書
モンゴル帝国帝位継承戦争[もんごる ていこく ていい けいしょう せんそう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
帝国 : [ていこく]
 【名詞】 1. empire 2. imperial 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
帝位 : [ていい]
 【名詞】 1. the throne 2. the crown
: [くらい]
  1. (n,n-adv,suf,vs) grade 2. rank 3. court order 4. dignity 5. nobility 6. situation 7. throne 8. crown 9. occupying a position 10. about 1 1. almost 12. as 13. rather 14. at least 15. enough to 1
継承 : [けいしょう]
  1. (n,vs) inheritance 2. succession 3. accession 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

モンゴル帝国帝位継承戦争 : ウィキペディア日本語版
モンゴル帝国帝位継承戦争[もんごる ていこく ていい けいしょう せんそう]
モンゴル帝国帝位継承戦争(モンゴル ていこく ていい けいしょう せんそう、1260年 - 1264年)は、モンゴル帝国の第4代大ハーン(皇帝)モンケの死後に、その一つ下の弟・クビライと、一番下の弟・アリクブケの兄弟が共に大ハーン継承を宣言したことから起きた内乱。当初はアリクブケが優勢だったが、最終的にはクビライが勝利を収め名実共に第5代大ハーンとなった。
古来「アリクブケの乱」の呼ばれてきたモンゴル帝国の内戦を、歴史理論学の立場から言い換えた現代的表現である。『集史』を始めとするペルシア方面で書かれた多くの史書がアリクブケを大ハーンの一人として扱っており、開戦当初はジョチ家チャガタイ家などほとんどの帝国の構成員がアリクブケを支持する立場をとったことを示す資料が数多く残っている。このことから、クビライこそが当初は反乱者であり、「アリクブケの乱」という名称は勝者クビライによって後に捏造されたと考えられる。
== 背景 ==
1251年に即位した大ハーン・モンケの下、東西での2大遠征が決定された。クビライによる南宋侵攻(クビライの南征)とフレグによる西アジア遠征(フレグの西征)である。
しかしこのうち、漠南漢地大総督に任命されたクビライは南宋を侵攻するにあたって、正面攻撃による短期決戦を避け、雲南・大理遠征を行うなど長期戦の構えを明らかにすると、皇帝モンケはこれに不満を持ち、一時クビライを更迭するなどし、自ら南宋侵攻の指揮を執ることにした。
しかし四川方面から南宋に侵攻しようとしたモンケは、全軍の中で突出しすぎる形となり、釣魚山の軍陣内で1259年8月11日に悪疫にかかり死亡した。あまりにも唐突に死去したモンケは、後継者をはっきりときめておらず、また生前のあまりにも峻烈な政治のため、内部の結束を失いつつあったモンゴル帝国は、帝国始まって以来最大の内戦に直面することとなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「モンゴル帝国帝位継承戦争」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.