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ムッシュシェクル : ミニ英和和英辞書
ムッシュシェクル
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ムッシュシェクル : ウィキペディア日本語版
ムッシュシェクル

ムッシュシェクル日本の元競走馬・元種牡馬で、現在は乗用馬中央競馬GIIを3勝した。2歳年下の全弟シクレノンシェリフがいる。
※戦績の馬齢は旧表記(数え年)とする。
== 戦績 ==
デビューは4歳(1991年)の6月と遅れた。4歳ではデビュー戦を含め4戦2勝をあげるが、故障(屈腱炎)のため1年以上の休養を挟み、復帰したのは6歳となった1993年であった。
復帰初戦の遠賀川特別(小倉競馬場・500万下)こそ2着に終わったが、筑前特別(500万下)・白鷺特別(阪神競馬場・900万下)〔同日のメインレース毎日杯で弟シクレノンシェリフが勝利を収めた。〕と連勝。
準オープン(1500万下)の身ながら重賞初挑戦でいきなり天皇賞・春 (GI) に出走。
さすがにレコード勝ちのライスシャワーから2.5秒離された7着に終わったが、続いて出走した京阪杯 (GIII) では1番人気に支持され、2着〔スタート直後に騎手山田泰誠が落馬したワイドバトルがそのまま「カラ馬」で走り、「1位入線」した。〕。
その後は自己条件の1500万下特別を2戦するが勝てず。
ここまでの主戦騎手は松永幹夫であった。(筑前特別では内山正博が騎乗、他に武豊が3度騎乗したが2着2回で未勝利に終わった。)
騎手を藤田伸二に変更し、アルゼンチン共和国杯 (GII) に再び格上挑戦すると、10番人気ながらもエイシンテネシー(1番人気11着)、ホワイトストーン(3番人気・ブービーの16着)、シャコーグレイド(2番人気・最下位17着)といった人気馬が凡走する中、中団から差し切って重賞初勝利を収めた。
以後は全てのレースで藤田が騎手を務めることとなった。暮れの有馬記念にも推薦されたが、熱発で回避。
7歳(1994年)初戦にはGII・日経新春杯〔この年は京都競馬場改装による変則開催で、日経新春杯は阪神競馬場2500mで開催。〕を選び、ここでも1番人気のマーベラスクラウンが4着と凡走する中、メジロパーマーに2馬身差をつけて重賞連勝。
さらに阪神大賞典 (GII) 〔中京競馬場2800mで開催。〕でもセンゴクシルバーを抑えてGII3連勝を飾り、天皇賞・春(阪神競馬場で開催)に駒を進めた。
ビワハヤヒデナリタタイシンに次ぐ3番人気に支持されたが、レースも1着ビワハヤヒデ、2着ナリタタイシン、3着ムッシュシェクルという結果となった。
秋は調整が遅れ、スワンステークスから始動するがさすがに距離不足で13着。
連覇を狙ったアルゼンチン共和国杯も11着に終わり、有馬記念も7着に終わる。
8歳(1995年)緒戦に京都記念に出走。ワコーチカコの3着と復調気配が見えたが、再び故障。
小林稔調教師は1996年まで復帰にかけたが叶わず、そのまま引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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