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ミネソタ州の歴史 : ミニ英和和英辞書
ミネソタ州の歴史[みねそたしゅうのれきし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

ミネソタ州の歴史 : ウィキペディア日本語版
ミネソタ州の歴史[みねそたしゅうのれきし]
ミネソタ州の歴史(ミネソタしゅうのれきし、英:History of Minnesota)では、現在のアメリカ合衆国ミネソタ州で、アメリカ州の先住民族が住み、ヨーロッパ人による探検と開拓、および州内の自然資源によって可能になった工業の出現によって形成された歴史を概説する。ミネソタ州は毛皮交易、製材および農業を通じて成長するようになり、後に鉄道、小麦粉の製粉および鉄鉱石の鉱業で卓越するようになった。これらの産業は今でも重要ではあるが、州経済は現在、金融、コンピュータおよび健康管理によって推進されている。
最も初期にこの地域に入ったと言われる人々は、最終氷期に大型の狩りの獲物の群れを追ってきた。これらの人々はアニシナーベ族やスー族などアメリカ州の先住民族の祖先であった。フランスからの毛皮交易業者が1600年代に到着した。ヨーロッパ人は1800年代に西方に移動し、先住民族の大半を追い出した。アメリカ合衆国領土の利益を守るためにスネリング砦が造られたことで、この地域に初期開拓者が入ってきた。初期開拓者はセントアンソニーの滝を製材所の動力に使い、そこが現在のミネアポリス市になった。また、川を下った者達が定着した所がセントポール市になった。
ミネソタは1849年ミネソタ準州としてアメリカ合衆国の一部となり、1858年5月11日、合衆国の32番目の州となった。南北戦争1862年ダコタ戦争が勃発した後で、自然資源が製材業と農業に使われ、州経済が発展を始めた。鉄道は移民を引き寄せ、農業経済を確立し、商品を市場にもたらした。セントアンソニーの滝から得られる動力はミネアポリス市の成長に拍車を掛け、革新的な製粉方法によって「世界の製粉業の首都」という肩書きもついた。
新しい産業は鉄鉱石から生まれた。鉄鉱石は州の北部で発見され、露天掘りで比較的容易に採掘され、ダルーストゥーハーバーズの港から五大湖製鉄所に積み出された。経済の発展と社会の変化によって州政府の役割が拡張し、人口は田園地帯から都市に流れた。世界恐慌が鉱山でのレイオフや労使関係の緊張をもたらしたが、ニューディール政策によって救われた。第二次世界大戦後、ミネソタ州はスペリーランドコントロールデータおよびクレイといった初期のコンピュータ会社に刺激された技術で知られるようになった。ミネアポリス市とセントポール市の双子市もガスリー劇場、ミネソタ管弦楽団およびウォーカー・アート・センターのような文化的施設を抱えた芸術の地域中心となった。
== 先住民族の到来 ==

ミネソタにおける最古の人類の遺跡は、約9,000年前に遡るもので、1933年に発見された。この人類は、発見された場所がブラウンズバレーに近かったので「ブラウンズバレー人」と名付けられた。
この地域で持続的に生活したという最も初期の証拠はミラックス湖に近いブラドベリー・ブルックと呼ばれる場所から出てきたものであり、紀元前7500年頃のものとされている。その後、広範な交易のネットワークが地域に拡がった。「ミネソタ・ウーマン」と呼ばれる初期住人の人骨が、1931年にオッターテイル郡で発見された。放射性炭素による年代決定法によって、彼女はおよそ紀元前6600年にこの地域に来たとされた。彼女は以前はフロリダにのみ生息されるとされていた「ビジコン・パーバーサ」と呼ばれるカタツムリの一種の巻き貝を持っていた。
それから数百年後、ミネソタの気候はかなり暖かくなった。マンモスのような大型動物が絶滅し、先住民族は食生活を変えた。木の実、ベリー類、および山菜を集め、鹿バイソンおよび鳥類といった比較的小さな獲物を狩った。この地域から見つかった石器は新しい食物資源に合わせて、より小さくまた特化したものとなった。また釣り鉤漁網およびのような漁労のための新しい技術を工夫した。紀元前5000年頃、スペリオル湖の湖岸に住んだ人々(ミネソタと現在のミシガン州ウィスコンシン州およびカナダとなった地域)は、北アメリカでは初めて金属器を作り始めた。高い銅成分を含む原石をまず叩いて大まかな形にし、加熱して脆性を落とし、再び叩いて形を整え、再加熱された。端部はナイフや槍穂に使えるように鋭くされた。
先住民族が定着した考古学的証拠は紀元前3000年のこととされている。ミネソタ州南西部にあるジェファーズ・ペトログリフス遺跡には、古期後期および紀元前1750年から900年の間に刻まれた岩面陰刻がある。紀元前1000年ころに短期間住んだ居住地からは土器の破片が現れるようになった。紀元前700年頃、埋葬用マウンドが初めて造られ、この慣習がヨーロッパ人の到来まで続いた。州内にはそのようなマウンドが10,000個あった。
紀元前200年から西暦400年までにミシシッピ川の堤に沿ってホープウェル文化が栄えたと信じられている。西暦800年までにマコモがこの地域の主要穀物となり、トウモロコシは南の方で作られた。数百年内にミシシッピ文化が州内南東部に届き、大きな集落が形成された。ダコタ・インディアン文化はミシシッピ文化の人々から伝えられたものである可能性がある。
ヨーロッパ人が初めにミネソタを探検し始めたとき、この地域には主にスー族が住んでおり、オジブワ族(チッペワ族あるいはアニシナーベ族と呼ばれることがある)は1700年頃に西への移住で州内に入り始めた。これら種族の経済は主に狩猟採集活動に基づいていた〔。ロングプレーリー近くには小規模のホーチャンク族(ウィネバゴ族)もおり、彼らは1855年にブルーアース郡の保留地に移住した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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