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マーディ・フィッシュ : ミニ英和和英辞書
マーディ・フィッシュ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーディ・フィッシュ : ウィキペディア日本語版
マーディ・フィッシュ[ちょうおん]

マーディ・フィッシュMardy Fish, 1981年12月9日 - )は、アメリカミネソタ州イーダイナ出身の男子プロテニス選手〔Mardy Fish The Official Web Site. 2016年1月8日閲覧。〕。自己最高ランキングはシングルス7位、ダブルス14位。ATPツアーでシングルス6勝、ダブルス8勝を挙げた。身長187cm、体重81kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
2004年アテネ五輪で男子シングルスの銀メダルを獲得した選手である。2011年ATPワールドツアー・ファイナル出場。2011年全米オープンシリーズ優勝。マスターズ1000で4度の準優勝経験がある。
== 選手経歴 ==
フィッシュの父親はテニスのティーチング・プロ(プロ選手の資格があるコーチ)で、彼の家族はマーディが4歳の時にミネソタ州からフロリダ州ベロビーチに引っ越した。フィッシュは1999年、1年間アンディ・ロディックの家に同居したことがあり、2人は同じ高校のクラブで一緒に練習した間柄になる。2000年にプロ入り。2002年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップアメリカ代表選手になる。2003年度の男子ツアーで3大会に準優勝した後、同年10月中旬のスウェーデンストックホルム大会でツアー初優勝を果たす。2004年アテネ五輪で、マーディ・フィッシュは男子シングルスの銀メダルを獲得した。準決勝でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスを 3-6, 6-3, 6-4 の逆転で破ったフィッシュは、金メダルをかけた決勝戦でゴンサレスと同じチリ代表のニコラス・マスーに 3-6, 6-3, 6-2, 3-6, 4-6 で敗れた。
2005年全豪オープンで、フィッシュは4大大会の男子ダブルス自己最高成績を出し、同じアメリカのジェームズ・ブレークと組んで準々決勝に進んだ。ところが、この年にフィッシュは2度左手首の手術を受け、一時は世界ランキングを341位まで落としてしまった。
2006年にフィッシュは復活を果たし、4月のアメリカテキサス州ヒューストン大会の決勝戦でユルゲン・メルツァーオーストリア)を破って優勝し、3年ぶりの男子ツアー2勝目を挙げた。同年のウィンブルドンから4大大会にも復帰し、フィッシュは2006年末の最終ランキングを47位まで戻した。それまでのフィッシュは、4大大会では3回戦進出止まりの成績だったが(2003年全豪オープン2003年ウィンブルドン2006年ウィンブルドン)、2007年全豪オープンでついに準々決勝進出を果たす。フィッシュは1回戦で第4シードのイワン・リュビチッチクロアチア)を破って波に乗り、準々決勝で少年時代からの親友アンディ・ロディックと対戦したが、ロディックに 2-6, 2-6, 2-6 のストレートで完敗した。
2008年7月に4年ぶりの男子ツアーダブルス優勝を果たした。地元開催の全米オープンで、フィッシュは初めてベスト8に進出した。彼の4大大会シングルス8強入りは、2007年全豪オープン以来2度目となる。初進出の全米準々決勝では、第1シードになったラファエル・ナダルから第1セットを奪った後、続く3セットを落として 6-3, 1-6, 4-6, 2-6 のスコアで敗退した。
2009年ウィンブルドンで、フィッシュは同じアメリカのジェームズ・ブレークとペアを組んで男子ダブルスのベスト4に進出した。2人は1回戦で全仏オープン優勝の第3シード、ルーカス・ドロウヒーチェコ)&リーンダー・パエスインド)組を破って波に乗り、以後もシードペアを連破して勝ち進んだ。準決勝では第2シードのダニエル・ネスターカナダ)&ネナド・ジモニッチセルビア)組に 7-5, 6-3, 2-6, 6-7, 8-10 の逆転で敗れ、決勝進出を逃した。
2011年4月に初めてのトップ10入りを果たし、アンディ・ロディックを抜いてアメリカのトップに立った。ウィンブルドンでは4回戦で前年準優勝のトマーシュ・ベルディハを 7-6, 6-4, 6-4 で破り、ウィンブルドンでは初めてのベスト8に進出した。準々決勝では前年優勝のラファエル・ナダルに 3-6, 3-6, 7-5, 4-6 で敗れた。8月に自己最高の7位を記録し最終戦のATPワールドツアー・ファイナルに初出場を果たしたが、ラウンドロビンで3連敗して敗退した。
2012年は心臓疾患に悩み5月に手術を受け全仏オープンを欠場した。全米オープンでは4回戦のロジャー・フェデラーとの試合を棄権し残り試合を全て欠場した。2013年3月のインディアンウェルズから復帰したものの好成績を残すことは出来ず、2013年の4大大会は全て欠場した。ランキングを100位以下に落とし苦しい状態が続いていた。
2015年全米オープンの前、フィッシュは「これが最後の大会になるだろう」とし、この大会で事実上の引退をすることを明言した。その全米オープンでは1回戦でマルコ・チェッキナートに6-7(5), 6-3, 6-1, 6-3で勝利。2回戦でフェリシアーノ・ロペスに6-2, 3-6, 6-1, 5-7, 3-6のフルセットで敗れ、これが引退試合となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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