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マーティン・ハネット : ミニ英和和英辞書
マーティン・ハネット[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マーティン・ハネット : ウィキペディア日本語版
マーティン・ハネット[ちょうおん]

ジェームス・マーティン・ハネット(James Martin Hannett、1948年5月31日 - 1991年4月10日)はイギリス音楽プロデューサーミュージシャン。またファクトリー・レコードの取締役を創始者のトニー・ウィルソンと共に務めた。
==来歴==
イングランドマンチェスター労働者階級の家庭に生まれる。14歳のときにベースギターを手にしバンドで演奏を始める。高校卒業後は大学に進学し、化学学位を取得した。
'70年代中盤からアニメーション映画サウンドトラックのプロデュースや、パブでの演奏のミキシングを行うようになる。1977年にはバズコックスのデビューEP、『Spiral Scratch』のプロデューサーを担当した。ハネットのプロデューサーとしての評価を決定付けたのは、ジョイ・ディヴィジョン1979年リリースのデビューアルバム『アンノウン・プレジャーズ』だった。ハネットはボーカルドラムのみにディレイリバーブを施し、ベースとギターの音は極力抑えた。ベーシストピーター・フックギタリストバーナード・サムナーは当時のライヴでのパンキッシュなバンドサウンドと乖離したサウンドプロダクションに嫌悪感を示していたが、フックは現在ではハネットのプロダクションの方向性が正しかったことを認め、ハネットに感謝する旨を述べている。
ハネットは他にもザ・ドゥルッティ・コラムオーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークハッピー・マンデーズア・サーテイン・レイシオESGといったファクトリー・レーベルのアーティストの作品や、マガジンのアルバム『ザ・コレクト・ユース・オブ・ソープ』、U2のシングル「11 O'Clock Tick Tock」のプロデュースを手がけた。
キャリア中盤からアルコール依存症薬物依存症ヘロイン中毒)に陥り、1991年4月10日心不全により死去。享年42歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マーティン・ハネット」の詳細全文を読む




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