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マルカントワーヌ・シャルパンティエ : ミニ英和和英辞書
マルカントワーヌ・シャルパンティエ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マルカントワーヌ・シャルパンティエ : ウィキペディア日本語版
マルカントワーヌ・シャルパンティエ[ちょうおん]

マルク=アントワーヌ・シャルパンティエまたはマルカントワーヌ・シャルパンティエMarc-Antoine Charpentier, 1643年 - 1704年2月24日)はフランス盛期バロック音楽を代表する作曲家。多作家で洗練された作曲家であり、主に宗教曲が重要な、ジャン=バティスト・リュリの同時代人である。フランス宮廷とほとんど関連を持たず、現代になって重要性が再認識されたため、生涯や経歴に不明な点が多い。
== 生涯 ==
パリまたはパリ郊外に生まれる。生い立ちについてはほとんど不明であり、生年月日でさえ謎である。「青年」時代にローマに留学したことは明らかだが、その期間は1662年から1667年の間であったと推測される。ローマでジャコモ・カリッシミに師事。古い伝説によると、画学生としてローマに留学したところ、老大家のカリッシミに楽才を見出されたというが、文献では画才があったという裏づけはない。同時代のイタリアの習慣を熟知しており、それをフランスに持ち帰ったというのは確かである。
おそらく、フランスに帰ってギーズ公爵夫人マリー(Marie de Guise, 1615年 - 1688年)に、楽長および歌手として、彼女の没する1688年まで仕えた。この間に、相当数の劇的な宗教曲(詩篇唱、讃歌、マニフィカトミサ曲モテット)を作曲した。シャルパンティエはモテットを、「オラトリオ」と混同して呼んでいた。
1672年ごろに、ジャン=バティスト・リュリと不和になったモリエールと協力関係に入る。1680年代は、パリのイエズス会系のサン・ルイ教会に楽長として奉職。さらに、シャルトル公フィリップの音楽教師を勤める。1698年にはサント・シャペルより楽長に任命され、1704年に没するまでその地位にあった。この時期の最も有名な作品が、《テ・デウム ニ長調》(H 146)と《聖母被昇天ミサ曲 Mass "Assumpta Est Maria" 》(H 11)である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マルカントワーヌ・シャルパンティエ」の詳細全文を読む




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