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マリーア・ドゥンゲリア : ミニ英和和英辞書
マリーア・ドゥンゲリア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリーア・ドゥンゲリア ( リダイレクト:マリア・ドゥンゲリア ) : ウィキペディア日本語版
マリア・ドゥンゲリア[ちょうおん]

マリア・ドゥンゲリア(Maria d'Ungheria, 1257年頃 - 1323年3月25日)は、ナポリカルロ2世の王妃。ハンガリーイシュトヴァーン5世と王妃エルジェーベトの娘。ハンガリー名はマーリア(Mária)。
1270年にシチリアカルロ1世(当時まだシチリアを支配していた)の嗣子であるカルロと結婚した。なお、前年の1269年にはマーリアの弟ラースロー4世がカルロ2世の妹イザベッラと結婚している。
カルロ2世との間には14子が生まれた。
* カルロ・マルテッロ(1271年 - 1295年) ハンガリー王位請求者。ハンガリー王カーロイ1世の父。
* マルゲリータ(マルグリット、1273年 - 1299年) ヴァロワ伯シャルルと結婚。フランスフィリップ6世の母。
* ルイージ(ルイ、1274年 - 1297年) トゥールーズ司教
* ロベルト(1277年 - 1343年) ナポリ王
* フィリッポ(1278年 - 1331年) アカイア公ターラント
* ビアンカ(ブランカ、1280年 - 1310年) アラゴンハイメ2世と結婚。
* ライモンド・ベレンガリオ(レーモン・ベレンゲール、1281年 - 1307年) プロヴァンス伯。
* ジョヴァンニ(1283年 - ?)
* トリスタン(1284年 - ?)
* エレオノーラ(1289年 - 1341年) シチリア王フェデリーコ2世と結婚。 
* マリア(1290年 - 1346年頃) マヨルカサンチョ1世と結婚。
* ピエトロ(1291年 - 1315年) グラヴィナ伯。
* ジョヴァンニ(1294年 - 1336年) ドゥラッツォ公、アカイア公、グラヴィナ伯
* ベアトリーチェ(1295年 - 1321年) フェラーラ侯アッツォ8世・デステと結婚。
マリアの弟ラースロー4世は1290年に暗殺され、嗣子がいなかったため、マリアの長男カルロ・マルテッロが叔父の王位継承を主張してアンドラーシュ3世と争ったが、王位継承を果たせずに早世した。しかしその息子カルロ・ロベルト(カーロイ1世)は、アンドラーシュ3世が死去してアールパード朝が断絶した後、最終的にハンガリー王として戴冠を果たした。

hu:Mária nápolyi királyné


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・ドゥンゲリア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mary of Hungary, Queen of Naples 」があります。




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