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マリーア・クレメンティーナ・ダウストリア : ミニ英和和英辞書
マリーア・クレメンティーナ・ダウストリア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリーア・クレメンティーナ・ダウストリア : ウィキペディア日本語版
マリーア・クレメンティーナ・ダウストリア[ちょうおん]

マリーア・クレメンティーナ・ダウストリア(, 1777年4月24日 - 1801年11月15日)は、両シチリア王フランチェスコ1世の最初の妃。フランチェスコの即位前に死去したため、王妃にはならなかった。ドイツ語名はマリア・クレメンティーネ・ヨーゼファ・ヨハンナ・フィデリス・フォン・エスターライヒ()。
神聖ローマ皇帝レオポルト2世とその皇后マリア・ルドヴィカの娘として、ヴィラ・ディ・ポッジョ・インペリアーレ(フィレンツェ)で生まれた。
1797年7月、フォッジャナポリシチリア(当時まだ両シチリア王国に統合されていない)の王太子で、父方でも母方でも従弟に当たるフランチェスコと結婚した。なお、1790年にマリーア・クレメンティーナの兄である皇帝フランツ2世およびトスカーナ大公フェルディナンド3世が、フランチェスコの姉マリア・テレーザおよびルイーザ・マリアとそれぞれ結婚している。
マリーア・クレメンティーナは夫フランチェスコとの間に1男1女をもうけた。
*マリーア・カロリーナ・フェルディナンダ・ルイーザ(1798年 - 1870年) - フランス王族シャルル・フェルディナン・ダルトワの妃
*フェルディナンド(1800年 - 1801年)
息子フェルナンドが夭逝した1801年に、マリーア・クレメンティーナも24歳で早世した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリーア・クレメンティーナ・ダウストリア」の詳細全文を読む




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