翻訳と辞書
Words near each other
・ マリア・テレサ礁
・ マリア・テレザ・デ・ブラガンサ
・ マリア・テレジア
・ マリア・テレジア (曖昧さ回避)
・ マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク
・ マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ
・ マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ (1845-1927)
・ マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=エステ
・ マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=エステ (1849-1919)
・ マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ=トスカーナ
マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン
・ マリア・テレジア・フォン・パラディス
・ マリア・テレジア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
・ マリア・テレジア勲章
・ マリア・テレジア軍事勲章
・ マリア・テレーザ
・ マリア・テレーザ・アニェージ
・ マリア・テレーザ・ダウストリア
・ マリア・テレーザ・ダズブルゴ
・ マリア・テレーザ・ダズブルゴ=エステ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン : ミニ英和和英辞書
マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン : ウィキペディア日本語版
マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン[ちょうおん]

マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン(, 1772年6月6日 - 1807年4月13日)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世の2度目の妃。フランツ2世は1804年以降オーストリア皇帝フランツ1世を名乗り、マリア・テレジアは最後の神聖ローマ皇后および最初のオーストリア皇后となった。ナポリシチリアの王フェルディナンド4世および3世(後の両シチリアフェルディナンド1世)とその王妃マリア・カロリーナの長女。イタリア語名はマリーア・テレーザ()。名前は祖母である「女帝」マリア・テレジアにちなんでいる。
1790年に、母方の従兄にあたるフランツ大公と結婚した。同年に妹ルイーザ・マリアがフランツの弟であるトスカーナ大公フェルディナンドと、1797年に弟フランチェスコ1世がフランツの妹マリア・クレメンティーネとそれぞれ結婚している。1792年、フランツの神聖ローマ皇帝即位に伴い皇后となった。
夫フランツとの間に多くの子をもうけたが、1807年に34歳で死去した。フランツはその後さらに2度再婚した。
== 子女 ==
フランツ1世(2世)の子供は、夭逝した1女を除き、全てマリア・テレジアとの間に生まれた。
*マリア・ルイーゼ(1791年 - 1847年) - フランス皇帝ナポレオン1世の皇后。後にナイペルク伯アーダム・アーダルベルト(1784年 - 1829年)と再婚。
*フェルディナント(1793年 - 1875年) - オーストリア皇帝。
*カロリーネ・レオポルディーネ(1794年 - 1795年)
*カロリーネ・ルイーゼ(1795年 - 1799年)
*マリア・レオポルディーネ(1797年 - 1826年) - ブラジル皇帝ペドロ1世の皇后。
*マリア・クレメンティーネ(1798年 - 1881年) - サレルノ公レオポルド妃。
*ヨーゼフ・フランツ・レオポルト(1799年 - 1807年) - 夭折。
*カロリーネ・フェルディナンデ(1801年 - 1832年) - ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世妃。
*フランツ・カール・ヨーゼフ(1802年 - 1878年) - オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世メキシコ皇帝マクシミリアンの父。
*マリア・アンナ(1804年 - 1858年)
*ヨーハン・ネポムク(1805年 - 1809年)
*アマーリア・テレジア(1807年) - 流産。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.