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マリア・ペトロワ : ミニ英和和英辞書
マリア・ペトロワ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マリア・ペトロワ : ウィキペディア日本語版
マリア・ペトロワ

マリア・イーゴレヴナ・ペトロワ(、1977年11月29日 - )は、ロシア出身の女性フィギュアスケート選手。2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピックペアロシア代表。2000年世界フィギュアスケート選手権ペアチャンピオン。パートナーはアレクセイ・ティホノフアントン・シハルリドゼなど。ロシア語では「マリーヤ・イーガリェヴナ・ピトローヴァ」が近い。
== 経歴 ==
ソビエト連邦レニングラードに生まれ、7歳のときにスケートを始めた。1992年にアントン・シハルリドゼとペアを結成し、初出場の1993年世界ジュニア選手権で2位。翌1994年、1995年世界ジュニア選手権では2連覇を果たした。同じ時期、シニアクラスにも参戦し1994年世界選手権8位、1995年世界選手権6位と着実に強豪ペアへの階段を上りつつあったが、1996年にアントン・シハルリドゼとのペアを解消。同年にテイムラズ・プーリンと新たにペアを組んだ。
1996-1997年シーズン、1997年世界ジュニア選手権および1997年ユニバーシアードで2位となり、翌1997-1998年シーズンからはISUグランプリシリーズにも出場したが、表彰台に上ることはなく、ロシア選手権でも6位に留まり同シーズン終了後にペアは解散。1998年、アレクセイ・ティホノフと新たにペアを結成した。
ペア1シーズン目の1998-1999年シーズンからISUグランプリシリーズに参戦。いきなり表彰台の常連となり、グランプリファイナルにも進出。1999年欧州選手権では優勝を果たし、2000年欧州選手権で2連覇を達成。2000年世界選手権をも制し、強豪ペアとして注目を集めたが、2000-2001年シーズン以降はライバルの台頭もあり、世界選手権や欧州選手権などで表彰台に上ることはあってもタイトルからは遠ざかっていった。2002年ソルトレイクシティオリンピックに出場し6位、2度目のオリンピックとなった2006年トリノオリンピックでは5位に終わった。
2007年世界選手権では、パートナーのティホノフの怪我によりフリースケーティングを棄権。のちに引退を発表。競技引退後はロシアでアイスショーやフィギュアスケート絡みのテレビ番組に出演している。
ティホノフとは私生活上でもパートナーである。2002年に日本のNHKで彼らに関する叙情的なドキュメンタリーが放映されたことがある〔NHKアーカイブス保存番組『氷上のふたり ロシア・フィギュア 愛と挑戦の物語』 2002年2月9日放映(2006年、2010年と冬季オリンピックの年、及び日本で世界選手権が開催された2007年に再放送されている)〕。
2010年2月1日、ティホノフとの間に娘が誕生した〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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