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マミヤ光機 : ミニ英和和英辞書
マミヤ光機[き, はた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
光機 : [こうき]
 【名詞】 1. (abbr) optical instrument 2. optical equipment
: [き, はた]
 (n) loom

マミヤ光機 ( リダイレクト:マミヤ・デジタル・イメージング ) : ウィキペディア日本語版
マミヤ・デジタル・イメージング[き, はた]

マミヤ・デジタル・イメージング株式会社(社長:緑川俊夫)は、デジタル技術事業およびカメラデジタルカメラなどの光学機器事業を扱う会社である。本社は東京都文京区
旧社名コスモ・デジタル・イメージングマミヤ・オーピーから、光学機器事業を継承するにあたり現社名に変更した。コスモ・サイエンティフィック・システムの子会社であり、マミヤ・オーピーおよびその前身マミヤ光機とは資本関係にない。
== 光学機器事業の沿革 ==

=== マミヤ光機 - マミヤ・オーピー ===
マミヤの創業者で発明家の間宮精一1940年に、新規に考案したバックフォーカシング方式(実用新案登録第294734号)の距離計連動6×6cm判スプリングカメラ「マミヤシックス」を設計・発売。その後、間宮精一が16mmフィルム使用の超小型カメラマミヤ16」を開発し1949年に発売。1957年世界初レンズ交換式6×6cm判二眼レフカメラ「マミヤCシリーズ」を開発。1960年6×9cm判プレスカメラ「マミヤプレス」を発売、1970年レボルビングバッグ機構を備えた6×7cm判一眼レフ「マミヤRB67」を発売、1975年6×4.5cm判の一眼レフ「マミヤM645」を発売、1982年にRB67を電子化した「マミヤRZ67」を発売。中判カメラに強みがあり、一方35mm判カメラに関しては輸出向けは好調だった時期もあったが、国内向けには弱く、頻繁にレンズマウントが変わっていた。
しかし1984年2月29日、当時のマミヤの主要株主であり海外でのカメラ販売を手がけてきた大沢商会が事実上倒産。マミヤもあおりを受け、同年3月5日会社更生法に基づく更生手続を開始している。この過程で、ミラクルマウントを搭載した35mmフィルムカメラであるマミヤZEシリーズから撤退。得意分野である中判カメラの製造に特化することとなった。
1992年10月、マミヤ光機は釣具機器メーカーのオリムピックと合併、合併後の社名はオリムピックとなるが、翌1993年4月同社はマミヤ・オーピーと改称。合併後も、カメラのブランドは変わらず「Mamiya」のままで継続された。
カメラのデジタル化時代に対応するため、デジタルバックに対応し、直接電子製版原版作成が可能な現行の電子中判カメラを発売。6×7cm判でありながらも8×10判に比肩するカメラとして、最新型の「マミヤRZ67プロフェッショナルIID」は2130万画素の電子製版直結のプロ用カメラとして愛用されている。また6×4.5cm判の「マミヤM645」も自動焦点化。ハイレベルのアマチュアフォトグラファーに愛用され、電子製版対応の画像撮影機材として他社にないラインアップを誇っている。
また、35mmフルサイズを超える撮影素子サイズを持つ2130万画素機、マミヤZDを発売する。しかし同製品は発売が大きく遅れた上、カメラ本体のみで130万円という価格設定もあって販売は振るわず、マミヤ・オーピーが光学機器事業を手放す一因となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マミヤ・デジタル・イメージング」の詳細全文を読む




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