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マヌー・チャオ : ミニ英和和英辞書
マヌー・チャオ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マヌー・チャオ ( リダイレクト:マヌ・チャオ ) : ウィキペディア日本語版
マヌ・チャオ[ちょうおん]

マヌ・チャオ(José-Manuel Thomas Arthur "Manu" Chao)は、パリ生まれのスペインフランス人の歌手。両親の出身国はスペインで、チャオはバスク人の母とガリシア人の父の血を引いている。政治活動家としての側面も持つ。
スペイン語フランス語英語を主とした歌を歌っており、時折多言語で歌うこともある。
初期はホット・パンツのメンバーとして活動、いくつかの音楽のスタイルやフランス語以外のスペイン語英語など数種の言語を用いており、このスタイルは現在も用いている。1987年にはマノ・ネグラMano Negra)を結成、1990年代半ばに分裂してからはソロ活動をしている。
== 来歴 ==

=== 幼少時代 ===
マヌの母はスペインの自治州バスク州ビルバオ出身で、父親のラモンガリシア州ビラルバ出身の作家でジャーナリストである。彼等はフランシスコ・フランコ独裁政治から逃れる為に(マヌの祖父は、フランコ独裁政権から死刑宣告を言い渡されていた)、フランスパリへと移住した。やがて、マヌが生まれるとパリから離れた郊外へと移り、マヌは幼少時代をブローニュ=ビヤンクールセーヴルで過ごした。様々なアーティストや父親の知り合いから知的な感性を養った。子供の頃に聴いていた音楽は、はじめは、
両親が聴いていたスペインの音楽や、南米ラテンアメリカからの音楽だった。
その中でも、キューバのピアニスト歌手、ボラ・デ・ニエベ(Bola de Nieve)の大ファンだった、と本人は語っている。〔
そういう、自分自身のルーツである、スペインやスペイン語圏のラテンアメリカの音楽、
というものと、
生まれ育ったフランスのパリ等で身の回りに溢れていた英国のロックや米国のロック音楽など、
という異なる文化圏の音楽に触れて育ったことが後々の音楽活動の原点になったとも言える。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マヌ・チャオ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Manu Chao 」があります。




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