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マニラ軍事法廷 : ミニ英和和英辞書
マニラ軍事法廷[ほうてい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 
軍事 : [ぐんじ]
 【名詞】 1. military affairs 
軍事法廷 : [ぐんじほうてい]
 (n) military tribunal
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 
法廷 : [ほうてい]
 【名詞】 1. courtroom 

マニラ軍事法廷 ( リダイレクト:マニラ軍事裁判 ) : ウィキペディア日本語版
マニラ軍事裁判[まにらぐんじさいばん]
マニラ軍事裁判(マニラぐんじさいばん)とは、第二次世界大戦後、フィリピン ルソン島マニラで開かれたアメリカ軍による日本BC級戦争犯罪人に対する軍事裁判1945年10月8日から始まり、1947年4月15日に最終判決が下された。山下奉文陸軍大将以下212名が起訴され、177名が有罪、35名が無罪となった。
根拠法は、1945年9月24日太平洋地域米軍陸軍総司令部 (GHQ/AFPAC) 公布「戦争犯罪人裁判規程()、同年12月5日連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) 公布「戦争犯罪被告人規程()。
フィリピンでは、アメリカ軍のマニラ軍事裁判(管轄最高責任者はアメリカ軍第6軍司令官中将)と、フィリピン軍フィリピン軍事裁判(管轄最高責任者はフィリピン大統領)の2つの裁判が執り行われた。
第二次世界大戦について、日本側の行為のみを一方的に裁く裁判は各地で執り行われ、戦争賠償・補償ついては各地の軍事裁判での裁きと被害各国との間で条約・協定等が締結、履行された事により国際法上解決している。
==起訴まで==
当時のアメリカ領フィリピン付近を占領していた日本軍は、第14方面軍を基幹とする比島方面軍であり、その最高司令官は山下奉文陸軍大将である。この軍が正式に降伏したのは1945年9月3日、場所はルソン島北部にあるバギオにおいて。
降伏時、この方面に残存していた日本人軍人軍属は約115,200名、一般人25,000名、計140,200であり、これら全てが捕虜として収容所に収容された。この収容者の中から約2万名が戦犯容疑者としてカンルバン収容所に収容され予備審問に付され、212名がマニラ軍事裁判、169名がフィリピン軍事裁判に起訴された。
マニラ軍事裁判における主な戦犯容疑者は以下の通り(将官のみ)。
*山下奉文(陸軍大将、比島方面軍最高司令官、第14方面軍司令官)死刑
*田島彦太郎(陸軍中将、混成第61旅団長)死刑
*洪思翊(陸軍中将、比島俘虜収容所所長)死刑
*河野毅(陸軍中将、抜兵団長、歩兵第77旅団長)死刑
*大杉守一海軍中将、第23特別根拠地隊司令官)蘭印マカッサル裁判で死刑
日本で戦犯容疑者として逮捕されて収監された後、マニラで判決を受けた者
*本間雅晴(陸軍中将、比島軍司令官)死刑
*黒田重徳(陸軍中将、第14方面軍司令官)終身刑
*長浜彰(陸軍憲兵大佐、第14方面軍憲兵隊司令官)死刑

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マニラ軍事裁判」の詳細全文を読む




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