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マッチェム : ミニ英和和英辞書
マッチェム
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マッチェム : ウィキペディア日本語版
マッチェム

マッチェム(、1748年 - 1781年)は18世紀イギリス競走馬18世紀の競走馬・種牡馬で、まだサラブレッドの概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、エクリプスヘロドと並びサラブレッド三大始祖〔マッチェムらとほぼ同様の意味で、その2代父ゴドルフィンアラビアンらを三大始祖と呼ぶ場合も多い。〕の一頭に数えられる。この3頭の中ではもっとも早く生まれた。
== 生涯 ==
イギリスでジョン・ホームズによって生産された。成長が遅く、体高(肩までの高さ)も15.1ハンド(約153.4センチメートル、別の記述では14.3ハンド)と当時としてもあまり大きなほうではなかった。その後ウィリアム・フェニックの手に渡ったという。
マッチェムは優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していたニューマーケット競馬場の4マイル(約6442メートル)戦では、それを7分20秒の好タイムで破り〔ただし、レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用することは好ましくない。黎明期の競馬についてはフライングチルダーズが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられている。〕、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でもふたたびトラヤヌスを下している。負けたレースは1756年のジョッキークラブプレート(優勝馬スペクテイター)と翌年の同競走(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。
その後12歳で引退すると、1781年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクターセントレジャーステークス優勝馬オランディーズ、オークス優勝馬テトータムなどの名馬を輩出し、1772 - 74年イギリスリーディングサイアーを獲得している。産駒は354頭が勝ち上がり、獲得賞金は合計で15万ポンドに達した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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