翻訳と辞書
Words near each other
・ マックス・エイトケン (初代ビーバーブルック男爵)
・ マックス・エイトケン (初代ビーヴァブルック男爵)
・ マックス・エイトケン (初代ビーヴァーブルック男爵)
・ マックス・エイヴェ
・ マックス・エマヌエル・イン・バイエルン
・ マックス・エマヌエル・イン・バイエルン (1937-)
・ マックス・エマヌエル・チェンチッチ
・ マックス・エマヌエル・ツェンチッチ
・ マックス・エマヌエル・フォン・バイエルン
・ マックス・エメリッチ
マックス・エルトマンスデルファー
・ マックス・エルンスト
・ マックス・エルンスト・マイヤー
・ マックス・エルヴィン・フォン・ショイブナー=リヒター
・ マックス・エー
・ マックス・エーウェ
・ マックス・エーワ
・ マックス・オフュルス
・ マックス・カセラ
・ マックス・カバンヌ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マックス・エルトマンスデルファー : ミニ英和和英辞書
マックス・エルトマンスデルファー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マックス・エルトマンスデルファー : ウィキペディア日本語版
マックス・エルトマンスデルファー[ちょうおん]

マックス・エルトマンスデルファーMax Erdmannsdörfer 1848年6月14日 - 1905年2月14日)(時おり ''Max von Erdmannsdörfer''とされる)は、ドイツ指揮者ピアニスト作曲家
== 生涯 ==
エルトマンスデルファーはニュルンベルクに生まれた。ライプツィヒ音楽院で学んだ後、〔訳注:ドイツテューリンゲン州の町。エアフルトから50km北にある。〕でカペルマイスターとなった。1874年、彼はリストの弟子であったパウリーネ・フィフトナー(Pauline Fichtner)と結婚した。彼女はその後公式にパウリーネ・エルドマンスデルファー・フィフトナーという名前を名乗るようになる。エルトマンスデルファーはリストと書簡をやり取りする仲となり〔Liszt’s letters 〕、1876年7月2日にはリストの交響詩ハムレット(S.104)」をゾンデルスハウゼンで初演した〔Alan Walker, ''Franz Liszt'' 〕。また、彼は散逸していたリストの「ピアノ協奏曲第3番」の少なくとも一部の楽譜を所有しており、その草稿は1989年になって広くヴァイマル、ニュルンベルク、レニングラードに散らばっていた断片を合わせてひとつにまとめられた〔New York Times, 18 January 1989, New Liszt Concerto Discovered 〕。
エルトマンスデルファーはヨアヒム・ラフとも親しい間柄であった。彼と彼の妻は2人でラフから「ピアノ五重奏曲 Op.107」の2台ピアノ編曲版の献呈を受け、1877年9月22日にゾンデルスハウゼンでこれを初演している。パウリーネは1870年にも、ラフの「ピアノ組曲 ト短調」の献呈を受けている。エルトマンスデルファーはラフの死後、未完成で遺された「交響曲第11番 Op.214」を補筆完成させ、出版にこぎつけている〔Joachim Raff: Fantasy for Piano Quintet 〕。また、彼はアレグザンダー・マッケンジーの序曲「セルヴァンテス ''Cervantes''」を1877年にゾンデルスハウゼンで初演した〔JSTOR 〕。
1882年に、エルトマンスデルファーはモスクワに赴き、ロシア音楽協会の演奏会の首席指揮者およびモスクワ音楽院の教授に就任した。彼は妻と共に1889年までその地にとどまった〔Tchaikovsky Research: Pauline Erdmannsdörfer-Fichtner 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マックス・エルトマンスデルファー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.