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マタ40船団 : ミニ英和和英辞書
マタ40船団[だん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 
船団 : [せんだん]
 (n) (naval) fleet
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

マタ40船団 ( リダイレクト:ヒ85船団 ) : ウィキペディア日本語版
ヒ85船団[ひ85せんだん]

ヒ85船団(ヒ85せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年12月から1945年1月に門司からサンジャックへ航海した日本の護送船団である。積み取りに向かう石油タンカーを主体に、ルソン島へ陸軍部隊を運ぶ輸送船も経由地の高雄港まで合同して運航された。タンカーは故障した1隻以外無事に到着し、ルソン島への増援も8割が上陸する一応の成功を収めた。なお、ここではルソン島行き輸送船の帰路にあたるマタ40船団についても解説する。
== 背景 ==
1944年(昭和19年)12月、レイテ島の戦いはアメリカ軍の勝利に終わり、アメリカ軍のフィリピン反攻作戦の矛先は首都マニラのあるルソン島へ迫った。迎え撃つ日本軍は、ルソン島へ増援部隊を送り込むべく最後の努力を続けていた。しかし、アメリカ軍がモロタイ島レイテ島などに航空基地を設置してルソン島の制空権争いで優位に立ち、潜水艦空母搭載機による攻撃も加わって、日本艦船の行動は非常に困難な情勢であった。もはやマニラへの入港は危険過ぎるため、北部のサンフェルナンドが代わりの主要揚陸拠点となっていた。
一方、アメリカ軍のフィリピンへの反攻は、日本の資源輸送のためのシーレーンにとっても危機的な事態であった。特に戦争継続に不可欠な石油の本土輸送への影響は深刻で、ボルネオ島産石油を運ぶミ船団はすでに同年11月末をもって運航中止に追い込まれていた〔岩重(2011年)、95頁。〕。日本海軍はヒ船団と称する門司シンガポール(昭南)間の石油輸送船団だけは維持しようと試みて、タンカーと護衛兵力の集中を進めていた。
こうした状況で日本からシンガポールを目指して送りだされることになったのが、通算85番目・往路43番目のヒ船団を意味する名称のヒ85船団である。本来のヒ船団は高速大型タンカーを中心とした編制であるが、門司出港時のヒ85船団には1-2隻のタンカーしか無く、代わりに経由地の高雄で貨物船改造などの低性能タンカー10隻以上が加入する計画だった。従来ならミ船団に組み込まれたはずの低性能船が航路廃止に伴い振り替えられたもので、初めての低速ヒ船団となった。さらに、ルソン島へ第19師団第1挺進集団各主力などの精鋭部隊を運ぶ陸軍特殊船3隻と新型貨物船改装の軍隊輸送船1隻も加入した。護衛は船団護衛専門に新設されたばかりの第101戦隊(司令官:渋谷紫郎少将)を中心とする有力な布陣だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヒ85船団」の詳細全文を読む




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