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マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン : ミニ英和和英辞書
マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン : ウィキペディア日本語版
マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン()は、アイルランド出身のシューゲイザー/オルタナティヴ・ロックバンド。かつて日本では「マイ・ブラディー・バレンタイン」とも表記されていた。略称は「MBV」、日本国内ではもっぱら「マイブラ」と称される。
== 概要・来歴 ==
1984年、ダブリンにて結成〔バンド名の由来は同名のカナダのB級ホラー映画(邦題『血のバレンタイン』)から。ただしこの映画名が元であることを結成当時デイヴ・コンウェイは他のメンバーに話していなかったという。〕。1987年頃に、それまでボーカル担当でバンド名の考案者でもあったオリジナルメンバーのデイヴ・コンウェイとその恋人ティナ・ダーキンが脱退すると、ケヴィン・シールズがリード・ボーカルも担当するようになり、デビー・グッギ、次いでビリンダ・ブッチャーが加入してバンド編成が変わると音楽スタイルもそれまでとは大きく変わった。
『ストロベリー・ワイン』『エクスタシー』で後につながる方向性を示し、クリエイション・レコーズに移って1988年に発売された『ユー・メイド・ミー・リアライズ』でブレイクした。それ以降、幾重にも重ねられたノイジーなギターサウンドと、甘く脱力的な歌い方の男女のボーカルのメロディーを融合させ、サンプラーエフェクターなどの機材も駆使し強くディストーションを掛けた幻想的なサウンドを創造する。彼らのそうしたスタイルは、ライドチャプターハウスなど「シューゲイザー」と呼ばれる多くのフォロワーを生んだ。
1991年に発売されたアルバム『ラヴレス』(当時の邦題は「愛なき世界」)は広く評価された。このアルバムは彼らの代表作となり、シューゲイザーの代名詞的な傑作として不動の地位を得ている。その独創的なサウンドは2000年代以降も世界中のアーティストに影響を与え続けている〔デヴィッド・ボウイU2コールドプレイなどの作品プロデュースで知られるブライアン・イーノは、「(『ラヴレス』の収録曲で『グライダー』にも収録されていた)『スーン』はポップの新しいスタンダードとなるだろう。かつてヒット・チャート入りした曲の中で、これ以上に曖昧で不明瞭なものをぼくは知らない。」と絶賛した。なお、『スーン』にはアンドリュー・ウェザオールによるリミックスバージョンも存在する。〕。
『ラヴレス』の後、メジャーのアイランドに移るが、コンピレーションアルバムなどに2、3曲ほど提供したのみで、アルバムのリリースはなかった。アルバム制作のためにスタジオを新しく作ったが、機材が全て動かず、使い物にならなかったなどのトラブルがあったという。またドラムンベースに影響を受けそれを取り入れてアルバム2枚分ぐらい曲を作ったこともあったが、ケヴィンはその出来に満足できず、発表されることはなかったという。バンドの表立った活動が長らく休止状態な中、ケヴィンは他のバンドのリミックスやプロデュース、プライマル・スクリームにサポート・ギタリストとして参加、2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』でブライアン・レイツェルと共同で音楽を担当(サントラCDも出ている)などのソロ名義での楽曲発表、パティ・スミスとのジョイント・ライヴ(「ザ・コーラル・シー」という題で2008年にCD化)などを行い、ビリンダはヒップホップ・ユニットにフィーチャーされ、デビーはSnowponyでベーシストとして活動した。
2007年に再始動を発表。新曲・新作の発売は相変わらずされないものの、久しぶりにライブ活動が行われ、日本ではFUJI ROCK FESTIVAL'08へ参加した。その後数年にかけて、『ラヴレス』発売当時のライブでは表現出来なかったことが音響技術が進んだ今なら出来るとして『ラヴレス』時の曲を中心としたライブ活動を行っている。
なお、ライブでは大音量で演奏する轟音バンドとして知られ、耳を守るためライブ会場で耳栓が配られることもあるほどである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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