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マイトナー : ミニ英和和英辞書
マイトナー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マイトナー ( リダイレクト:リーゼ・マイトナー ) : ウィキペディア日本語版
リーゼ・マイトナー[ちょうおん]

リーゼ・マイトナー(Lise Meitner、1878年11月7日〔出生記録には誕生日は11月17日とされているが、ある時から11月7日と書かれるようになった。このいきさつに関しては詳しく分かっていない。マイトナー自身は11月7日が誕生日だと認識していて、現在でも一般的にはこの日が誕生日だとされている。なお、11月7日はマリ・キュリーの誕生日でもある。ケルナー(1990) p.62、サイム(2004) p.1〕 - 1968年10月27日) はオーストリア物理学者である。放射線核物理学研究を行った。
== 来歴 ==

=== 生い立ち ===
ウィーンユダヤ系の家庭に、父フィリップ、母ヘートヴィヒの三女として生まれた。フィリップは弁護士であった。生活は貧しくはなかったが、マイトナー家は男児3人、女児5人という大家族であったため、裕福でもなかった。一家はコンサートに出かけたり、演奏を行ったりと、音楽に親しむ生活をおくっていた〔ケルナー(1990) p.21〕。またフィリップは政治にも深くかかわっており、政治家や作家などをしばしば自宅に招き、集会場のように使用していた〔サイム(2004) p.6〕。
こうした豊かな知的環境で育ったリーゼは、自然科学に興味を持つようになった。しかし当時は女性の学問への道は閉ざされていた。リーゼは小学校卒業後に高等小学校に入学し〔ケルナー(1990) p.16〕(女性は高等教育を受けることができなかったため、ギムナジウムには入れなかった)、1892年に卒業した。
高等小学校卒業後、リーゼはフランス語の教師の試験を受けることにした。大学教育の不要な専門職だったからである〔サイム(2004) p.7〕。そして教師として収入を得たリーゼであったが、学問への思いはまだ強かった。ちょうどその頃、オーストリアでは女性の大学入学を求める動きが高まっていた。そして1897年、文学・科学分野に限って、資格試験(マトゥーラ)に合格すれば女性の大学入学が認めらるようになった。
そこでリーゼは、大学入学資格試験を受けて大学へ入る道をとることにした。リーゼの両親は、女性が学問を行ったり職を得たりすることに抵抗をもたない人物であったため、リーゼのこの決断を支持した〔ケルナー(1990) p.18〕。ただし、この計画が失敗しても職が得られるよう、1899年まではフランス語の教師を続けた。そしてその後、2年間で集中して試験勉強を行い(ギムナジウムに入っていないリーゼは、この2年間で8年間分の学習を行うことになる)、1901年に試験に合格した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リーゼ・マイトナー」の詳細全文を読む




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