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ポンティアック戦争 : ミニ英和和英辞書
ポンティアック戦争[ぽんてぃあっくせんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

ポンティアック戦争 : ウィキペディア日本語版
ポンティアック戦争[ぽんてぃあっくせんそう]

ポンティアック戦争(‐せんそう、)は、フレンチ・インディアン戦争/七年戦争 (1754-1763)の終結後、イギリスの五大湖地方支配に不満を抱いたインディアンが侵略者であるイギリス白人に対して1763年に戦いを挑んだ「インディアン戦争」である。
== 概要 ==

1763年5月、イギリス軍のジェフリー・アマーストが押し付けてきた民族浄化政策に対して、行く末に危惧を抱いたインディアンたちがイギリス軍の多くの砦や入植地を襲ったことから「ポンティアック戦争」は始まった。白人の8つの砦が破壊され、数百の入植者が殺されるか捕虜にされ、他にも多くの者がこの地域から逃げ出した。
五大湖地方からイギリス軍と白人入植者を追い出すために、多くの部族のインディアン戦士が立ち上がった。
1764年、イギリス軍の遠征から次の2年間にわたる和平交渉が進み、敵対行動は収まった。インディアンたちはイギリス人を追い出すことができなかったが、この蜂起によってイギリス政府の占領政策を修正させることになった。
インディアン戦争は苛烈で、捕虜の殺害や、一般市民を攻撃目標にしたり、また他にも民間人への残虐行為が双方で見られた。今日でも知られている出来事としては、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘の菌に汚染された毛布を贈り物にし、周辺のインディアンにこれを感染させようとしたことである。紛争の冷酷残忍さはイギリス人入植者とインディアンの間の増幅する民族間対立の反映であった。イギリス政府は、入植者とインディアンの土地の間に境界を設定する1763年宣言を発して、これ以上民族間対立がひどくならないようにした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ポンティアック戦争」の詳細全文を読む




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