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ボーレンの聖母 : ミニ英和和英辞書
ボーレンの聖母[ぼーれんのせいぼ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
聖母 : [せいぼ]
 【名詞】 1. emperor's mother 2. Virgin Mary 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 

ボーレンの聖母 : ウィキペディア日本語版
ボーレンの聖母[ぼーれんのせいぼ]

ボーレンの聖母(フランス語:apparitions mariales de Beauraing ) (黄金の心を持つ聖母でも知られる)は、 33の聖母の御出現に数えられる聖母の出現である。1932年11月から1933年1月まで、5人の9歳から5歳までの子供たちの前に御出現になった。この御出現から数年間、このボーレンの小さな街に巡礼者たちが押しかけた。そのため、ボーレンがあるナミュールの行政区はその対処を要求された。
==御出現==
聖母の出現を受けたのは15歳のフェルナンド、13歳のジルベルトと11歳のアルベールの3人で、エクトールとマリー・ルイーズ・ヴォワザンの子供たちである。 エクトール・ヴォワザンは鉄道会社の職員である。その他に一緒にいたのは 14歳のアンドレと9歳のジルベルト(9)でドゥジャンブル家の姉妹である。母親のジェルメーヌは未亡人で農家を営んでいた。〔Gillett, H.M., "75 years younger than Lourdes", ''Catholic Herald'', 22 November 1957
1932年11月29日の夕暮れ、4人の子供たちは修道女カトリック教会の規定に従って指導する学校に通っていたジルベルトに会うため歩いてその学校に行き、ジルベルトと一緒に帰ろうとしていた。彼らが学校に着いた時、ちょうど学校を過ぎた所の鉄道高架橋の近くに アルベールが長く白いローブを着ている婦人を発見し、指さした。〔
 この時、アルベールはその婦人が鉄道の上を浮いて歩いているといい、他の子供たちにも見るよう呼び掛けている。女の子たちもこの白いローブ姿の女性が宙を浮きながら歩き、足元は小さな雲で隠れているのを目撃している。なお、子供たちが婦人を見ている間に修道女が修道院のドアを開けた。始めはなにも見えていなかったが、アルベールがドアに駆け寄ると、その後にその婦人の姿を見ている。〔http://www.theotokos.org.uk/pages/approved/appariti/beaurain.html]〕
数日後の夕方、子供たちは小さな洞穴の近くにあるセイヨウサンザシの木のそばでその婦人にあった。 しかしそこは修道院の敷地の外だった。彼らはその通り道でひざまづき、修道院の入り口の外から垣根越しに覗いて見た。 子供たちは、角のある玉砂利の上に同時に勢いよくひざまづいたが、彼らは怪我をすることはなかった。 さらに、周囲の人々は、子供たちが質の良い声で祈ったので驚いた。〔
彼らはその後どのようにして、その婦人に会ったか、そして祈っている時のように彼女と一緒に手を合わせていたこと、彼女の頭の周囲には光線が輝いていたことを語った。
その年の12月2日、アルベールは彼女にもしかして、あなたは「穢れ無き乙女」〔聖母マリアを意味する〕では、と訊ねた。婦人はほほ笑んで頷き、そしてこう答えた。「そのとおり。」〔
最初の出現から数週間過ぎた後、彼らはその婦人を32回以上目撃したことになる。その婦人は大抵、修道院の学校の庭にいた。最後に出現したのは、1933年1月3日であった。〔
子供たちの報告では、その女性はこの敷地に教会を建てることを強く望むといった。彼女はこの敷地に巡礼者たちが訪れることもまた強く望み、子供たちそして全ての人々に「祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。」と頼んだ。そして最後の幻視として、「黄金の心」を見せた。〔"Reported Cure at Beauraing", ''Catholic Herald'', 27 August 1948
その年の12月8日、 無原罪の御宿りの祝日 約1万5千の群衆が大きな奇蹟が起こるのではないかと予想して詰めかけた。しかし、彼らが見たものは、子供たちが恍惚に陥っている姿であったが、彼らは、握っている両手の下でマッチをつけようと、ピンで突こうと、目に光を当てようと動じなかった。〔
その間、地元の司祭、ランバート神父と地区の教会当局は、この出来事について慎重を重ねた態度を取っており、関係することを拒否した。地元の司教は支配下の司祭たちにその地区へ行かないよう命じた。〔
御出現は毎晩続いたわけではなかった。子供たちは集まって、ロザリオの祈りを唱えた。もし、聖母が現れたら、彼らは一緒にひざまづいた。彼らはじっと見られていたので、お互いに話が出来ないことを確信するほどだった。12月28日、子供たちは婦人が「私の最後の出現はすぐそこまできています。」と言うのを聞いた。最初の出現から数週間過ぎた後、彼らはその婦人を32回以上目撃したことになる。〔
その婦人は大抵、修道院の学校の庭にいた。最後に出現したのは、1933年1月3日であった。〔
子供たちの報告では、その女性はこの敷地に教会を建てることを強く望むといった。彼女はこの敷地に巡礼者たちが訪れることもまた強く望み、子供たちそして全ての人々に「祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。」と頼んだ。そして最後の幻視として、「黄金の心」を見せた。〔"Reported Cure at Beauraing", ''Catholic Herald'', 27 August 1948
次の日、フェルナンドは婦人が黄金の光り輝くハードを持っているのを目撃している。そしてこれは2人の子供たちも12月30日に同じものを見ている。婦人が「祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい。」と言う言葉を繰り返すので、フェルナンドは「祈りなさい」の言葉しか聞いていなかった。1932年の最後の日、全ての子供が黄金のハートを目撃している。1933年の1月1日に、婦人はジルベルトに「祈りなさい。いつも」と頼んで強調している。次の日、婦人は子供たちに1月3日が最後の出現の日になることがわかった。その時は1人1人に話をしようと言った。〔
子供たちがロザリオを始めた時、13,000から13500人と見積もられる大群衆がこの世集まった。聖母はジルベルトにこう話した。彼女に分け与えるボーレンでの主要な約束である「罪人を改心させる」こと。そして「さようなら」と。アンドレに姿を消す前に婦人は言った「私は神の母、天の女王、祈りなさい。いつも。」〔
フェルナンドはひざまづいたままだった。他の子供たちが質問のために中に入っている間中、突然、フェルナンドは雷のような大きな音を聞き、それは、他の群衆も聞いたのだが、セイヨウニレの木の上に火の玉があるのを見た。婦人が現れ、フェルナンドに、私の息子と私を愛しているかと訊ねた。フェルナンドはそうです。と答えると、その返答は、「では、私のために犠牲を払いなさい。」婦人は姿を消して「さようなら」と言う前に、とてつもなく輝き、そして、手を伸ばした。 すると、彼女の黄金のハートを見ることができた。〔


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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