翻訳と辞書
Words near each other
・ ボレスワフ3世 (ポーランド王)
・ ボレスワフ3世の遺言状
・ ボレスワフ3世クシヴォウスティ
・ ボレスワフ3世ロズジュトヌィ
・ ボレスワフ4世
・ ボレスワフ5世
・ ボレスワフ・イェジ2世
・ ボレスワフ・オルリンスキ
・ ボレスワフ・シャベルスキ
・ ボレスワフ・ピェルヴォロドヌィ
ボレスワフ・ポボジュヌィ
・ ボレスワフ・ユーリー2世
・ ボレタラ
・ ボレッキ
・ ボレックス
・ ボレット
・ ボレッラ
・ ボレピン
・ ボレミトール
・ ボレリア


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ボレスワフ・ポボジュヌィ : ミニ英和和英辞書
ボレスワフ・ポボジュヌィ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ボレスワフ・ポボジュヌィ : ウィキペディア日本語版
ボレスワフ・ポボジュヌィ

ボレスワフ・ポボジュヌィ(Bolesław Pobożny、1221年から1227年の間 - 1279年4月14日)は、ヴィエルコポルスカ公。ヴワディスワフ・オドニツの次男、母はポメレリアムシチュイ1世の娘ヤドヴィガ。敬虔公(Pobożny)と呼ばれた。
兄のプシェミスウ1世と共にヴィエルコポルスカの諸地域(カリシュポズナングニェズノ)を統治し、1257年に兄が死ぬとヴィエルコポルスカを単独で統治した。1264年8月16日、ボレスワフはヴィエルコポルスカのユダヤ人に対して、カリシュの法令と呼ばれる諸権利を与えた。これはユダヤ人に対して与えられた最初の成文法による保護条例で、ユダヤ人社会における司法権の自立、金融業と商業の自由を保障していた。1795年にポーランドでユダヤ人に対して与えられた特権は、ボレスワフが与えたこの時の特権をかなりの程度参考にしている。
1279年死去。息子が無かったため、甥のプシェミスウ2世がヴィエルコポルスカを継承した。
== 子女 ==
1257年、ハンガリーベーラ4世の娘ヨレンタと結婚し、間に3人の娘をもうけた。ヨレンタは1827年ローマ・カトリック教会に列福されている。
#エルジュビェタ(1263年 - 1304年9月28日) - レグニツァ公ヘンリク5世と結婚
#ヤドヴィガ(1266年 - 1339年12月10日) - ポーランド王ヴワディスワフ1世と結婚
#アンナ(1278年 - ?) - グニェズノの修道女



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボレスワフ・ポボジュヌィ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.