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ボズワースの戦い : ミニ英和和英辞書
ボズワースの戦い[ぼずわーすのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ボズワースの戦い : ウィキペディア日本語版
ボズワースの戦い[ぼずわーすのたたかい]

ボズワースの戦い(Battle of Bosworth)もしくはボズワース・フィールドの戦い(Battle of Bosworth Field)は、15世紀イングランド王国薔薇戦争中の重要な戦闘である。 この戦いは1485年8月22日に、ヨーク派の国王リチャード3世と、対抗して王位を争ったランカスター派リッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のイングランド王ヘンリー7世)の間で行われた。この戦いは、リチャード3世の戦死による敗北と、ヘンリーによるテューダー朝樹立という結果で幕を閉じる。
実際にはその数年の後に、ヨーク派を自称して王位奪還を目論む勢力との戦闘はあったが、歴史的にはこの戦闘をもって「薔薇戦争の終結」としている(厳密にはこの時点のヘンリー・テューダーは、これ以前の反逆罪によってリッチモンド伯の称号を剥奪されている。この状態は、即位後に自ら再叙勲するまで続く)。
== 開戦までの動き ==
1471年テュークスベリーの戦いの大敗北を受けてフランスに身を隠していたヘンリーは、同年8月7日、イングランド王になるために少数の兵(その多くはフランスの傭兵)とともに故郷のペンブルクシャーに上陸した。リチャード3世はそれまでにもランカスター派の軍と戦ってきたが、この戦いが最後の戦いになる。対するヘンリーは軍事経験にこそ乏しかったが、味方として、共に経験豊かで才知にも長けた、叔父であるペンブルク伯ジャスパー・テューダー(後のベッドフォード公爵)とオックスフォード伯を伴っていた。
ヘンリーは父の地元のウェールズを駆け巡って支持者を集め、中部地方に到着した時には推定5,000人の兵を集めていた。それに対してリチャード3世は、約8,000人を動員できた。
戦いの勝敗を決したのは、ウィリアム・スタンリー卿(Sir William Stanley)とトマス・スタンリー男爵のスタンリー兄弟の動向であった。トマス・スタンリーはヘンリーの継父にあたるので、リチャード3世にしてみれば信用しすぎるのは危険ではあったが、リチャードはその配慮に欠き、兄弟の継続的な忠誠心に依存しきっていたといえる。
戦場は、レスターシャーのサットン・チェイニー(Sutton Cheney)とマーケット・ボズワース(Market Bosworth)の近くであった。詳細な場所については、しばしば「戦場はダドリントン(Dadlington)とストーク・ゴールディング(Stoke Golding)に近いところだった」とする説得力のある説が出されるなど、歴史学者の間で議論の的になっている。 ただ、リチャード3世が開戦前夜に野営した場所がアンビオン・ヒル(Ambion Hill)だった、という点に関しては、大方の意見が一致している。 もう1つの説は、実際の戦場がそこから10kmほど西の、ウォリックシャーのアザーストーン(Atherstone)の北にあるメアベール(Merevale)であるというものである。確かに、戦闘の後に国王側からアザーストーンの街に対して賠償金が支払われている。
戦闘はリチャード3世の本隊とヘンリーのフランス傭兵隊との交戦から始まった。ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーとスタンリー兄弟の軍は、両陣営の主力軍から少し離れた所に陣取っていた。彼らは戦闘の決着が見えるまでどちらにも就かないという、詐欺的ともいえる慎重さを示した。リチャード3世としては、スタンリー兄弟が味方しないまでもせめて中立を保つように、人質を取っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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