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ホルツバウアー ( リダイレクト:イグナーツ・ホルツバウアー ) : ウィキペディア日本語版
イグナーツ・ホルツバウアー[ちょうおん]

イグナーツ・ヤーコプ・ホルツバウアーIgnaz Jakob Holzbauer 1711年9月18日 - 1783年4月7日)は、オーストリア作曲家マンハイム楽派に属し、交響曲、協奏曲、オペラ、室内楽曲を作曲した。その美的感覚はドイツの美術、文芸で起こったシュトゥルム・ウント・ドラング運動と方向性を同じくするものである。
== 生涯 ==

ホルツバウアーはウィーンに生まれた。法学を学ばせようとした両親の希望に反し、彼は音楽を学び1745年にロッタル(Rottal)伯爵とウィーンの宮廷劇場のカペルマイスターに就任した。後には、彼はシュトゥットガルトのカペルマイスターにもなっている。彼が作曲したオペラには1753年にのこけら落とし公演で披露された『''Il figlio delle selve''』などがある。この成功がきっかけとなりマンハイムの宮廷からスカウトを受け、ホルツバウアーは残りの人生をマンハイムで過ごすことになった。ここで彼は作曲に勤しむと同時にフリードリヒ・フライシュマンカール・シュターミッツらを育てた。
ホルツバウアーのオペラ『』はその名前の由来となったギュンター・フォン・シュヴァルツブルク王の人生を題材としており〔このウェブサイト に詳述されている。〕、ドイツの国民的オペラとして最初期のものとなったこの作品の公演にはモーツァルトとそのも訪れている。モーツァルトはこの作品に触れた感想をこう記している。
「ホルツバウアーの音楽は大変美しいが、詩はそのような音楽に相応しくない。私が何に一番驚いたかというと、オペラは信じられないくらいに炎で満ちており、ホルツバウアーのような高齢の人物(66歳)がいまだにこれほどの情熱を保ち続けているということだ〔Mozart (1866) p. 122. Original German: "die Musick von Holzbauer ist sehr schön, die Poesie ist nicht werth einer solchen Musick. am meisten wundert mich, daß ein alter Mann, wie Holzbauer (66 Jahre), noch so viel geist hat; denn das ist nicht zu glauben was in der Musick für Feuer ist"〕。」

モーツァルトはこの公演を通じてに出会い、後にオペラ『イドメネオ』の初演において彼に主役を任せることになる。このオペラは近年になってcpoレーベルによって録音された。ホルツバウアーは196曲の交響曲を作曲した〔。
また、モーツァルトは1778年パリコンセール・スピリチュエルの委嘱により、ホルツバウアーの「ミゼレーレ」へ挿入するための9曲の楽曲を作曲した。この作品はモーツァルト作品リストのK.297aという番号を与えられているが、今日では散逸している。
ホルツバウアーはマンハイムに没している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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