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ホセ・サンタマリア : ウィキペディア日本語版
ホセ・サンタマリア

ホセ・エミリオ・サンタマリア・イグレシアス (, 1929年7月31日 - ) はウルグアイモンテビデオ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF
長身でたくましい身体を持ち、広い活動範囲と屈強なマークで相手アタッカーを封じた〔『クラブ スター列伝』、ワールドサッカーマガジンベースボール・マガジン社、Vol.153 2007年4月5日号〕。また高い技術を持ち、ボールを上手く使って攻撃の起点にもなった。
== 経歴 ==
地元にあるサッカークラブナシオナル・モンテビデオでキャリアをスタートさせ、そこでチームを5度のリーグ優勝に導いた。また、ウルグアイ代表として1950 FIFAワールドカップに招集されるが、チームとのポジションの食い違いから大会に出ることはなかった。4年後の1954 FIFAワールドカップに参加し、ハンガリー代表に延長戦の末敗れた。3位決定戦でもオーストリア代表に敗退したが、屈強なディフェンスでサンタマリア自身は評価を高め、大会ベストイレブンにもウルグアイから唯一選ばれた。1956年南米選手権においてはウルグアイの優勝に貢献した。
1957年レアル・マドリードへ移籍し、アルフレッド・ディ・ステファノフェレンツ・プスカシュら豪華な攻撃陣を支えるセンターバックのレギュラーとして337試合の公式戦に出場。6度のリーグ優勝UEFAチャンピオンズカップ3連覇を含む4度の優勝、インターコンチネンタルカップなど12のメジャータイトルを手にした。ディ・ステファノらが活躍した1950年代後半からイエイエ・マドリードと呼ばれた1960年代のチームの間で橋渡し役を務め、レアル・マドリードにとって6度目、サンタマリアにとって4度目のチャンピオンズカップを制した1966年に現役を引退した。
また、レアル・マドリード入団翌年にスペイン国籍を取得し、スペイン代表としても1962 FIFAワールドカップに参加した。
引退後はスペイン代表のユースチームで監督を務め、1971年7月からはエスパニョールの監督に就任。1972-73シーズンは、優勝したアトレティコ・マドリードと勝ち点差3での3位にクラブを導いた。その後スペイン代表U-21を挟んでフル代表の監督を務め、自国開催の1982 FIFAワールドカップに臨んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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