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ベルナール・ブルジョワ : ミニ英和和英辞書
ベルナール・ブルジョワ[ぶるじょわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
ブルジョワ : [ぶるじょわ]
 【名詞】 1. bourgeois 2. (n) bourgeois

ベルナール・ブルジョワ : ウィキペディア日本語版
ベルナール・ブルジョワ[ぶるじょわ]

ベルナール・ブルジョワ(Bernard Bourgeois, ヴァレンヌ=サン=ソーヴール、1929年9月2日 - )は、フランス哲学者。フランス国内においては道徳政治学アカデミーの会員であり、2014年には会長を務めた。
カントからマルクスに至る近代ドイツ哲学が専門で、ヘーゲルの著作の仏訳も行った。
研究テーマは、論理学弁証法理性政治法律歴史哲学宗教哲学教育の関係。
== 略歴 ==
ベルナール・ブルジョワは高等師範学校を1951年に卒業し、1954年に哲学のアグレガシオンに合格した。
1954年から1957年まで、アルジェリアで兵連隊に従軍した後、1957年から1963年までマコンリセで教えた。
その後、リヨン大学文学部に着任した。1972年、ソルボンヌ大学博士号を取得し、リヨン第二大学、リヨン第三大学の教授を1989年まで続けた。1979年3月、リヨン第三大学の副学長になり、リヨン第一大学の状況に対して憂慮を示した〔 Rapport Rousso (2001), chap. II, p.45 〕。
1989年、パリ第一大学パンテオン-ソルボンヌの教授に就任した。
次に挙げるように多くの役職を任ぜられてきた。リヨン大学文学部長、フランス国立大学カウンシル会員、ユネスコのフランス委員会委員、そしてフランス科学基金、国際哲学アンスティチュ、フランス哲学会の研究混成ユニット(UMS)ディレクター。
また、アグレガシオンの審査委員を1980年から1986年の間、そして1998年から1999年の間務めた。
1991年から、フランス哲学会の会長を務めた。
形而上学・道徳評論(Revue de métaphysique et de morale)』のディレクター、そして「人間の倫理・連帯のためのオスタ・デライ基金(Fondation Ostad Elahi – éthique et solidarité humaine)」の理事を2002年2月の設立時から務めている〔Page présentant l'administration de la Fondation sur le site officiel de la Fondation Ostad Elahi - éthique et solidarité humaine.〕。
2002年12月、道徳・政治学アカデミーの哲学部門会員に選ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベルナール・ブルジョワ」の詳細全文を読む




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