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ベトナムとマレーシアの関係 : ミニ英和和英辞書
ベトナムとマレーシアの関係[べとなむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ベトナム : [べとなむ]
 【名詞】 1. Vietnam 2. (n) Vietnam
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関係 : [かんけい]
  1. (n,vs) relation 2. connection 
: [かかり]
 【名詞】 1. official 2. duty 3. person in charge 

ベトナムとマレーシアの関係 ( リダイレクト:マレーシアとベトナムの関係 ) : ウィキペディア日本語版
マレーシアとベトナムの関係[まれーしあとべとなむのかんけい]

マレーシアとベトナムの関係 (英語: Malaysia–Vietnam relations, マレー語: ''Hubungan Malaysia-Vietnam'', ベトナム語: ''Quan hệ Malaysia-Việt Nam'') は、少なくとも15世紀までさかのぼれる。近年においては、マレーシアは1973年3月30日にベトナムと外交関係を築き、2015年現在においてもこの関係は継続している。1970年代後半から1980年代にかけて、両国間の関係はカンボジア・ベトナム戦争とベトナムからのボートピープルのマレーシアへの流入の結果、緊張状態にあった。その後これらの問題が解決したことにより、強力な経済や貿易での結びつきが醸成された。また二国間にあっては、情報技術、教育、国防とともに貿易の関係が急激に成長した。
ベトナムとマレーシアは、タイランド湾南シナ海にて海の国境線で接しており、また南沙諸島の領有をそれぞれ主張している。両国は、いずれも相手国の首都に大使館を設置している。すなわち、ベトナムはクアラルンプールに大使館を、マレーシアはハノイに大使館、 ホーチミン市にはマレーシア領事館を置いている。歴史的な記録によれば、現代のマレーシアに該当する国や王国を訪問するベトナム人は、18世紀以来ごくわずかな人数であった。これに対して現代のマレーシアは、移民労働者、、学生などからなる10万人規模の在外ベトナム人コミュニティが存在している〔Lourdes Charles, Hanoi offers to help in criminal probes involving Vietnamese , 16 May 2009, , retrieved 24 September 2013〕。他方ベトナムには、ハノイやホーチミン市を拠点とするビジネスマンがほとんどを占めている、小規模な在外マレーシア人コミュニティがある〔King takes pride in M'sian investors contributing to Vietnam's wellbeing 7 September 2013, New Straits Times, retrieved 25 September 2013〕。
== 歴史 ==

=== 初期の接触 (15 – 18世紀) ===
現代のマレーシアとベトナムに相当する地域の間の最も古い外交関係は、1469年にさかのぼる。ベトナムの黎朝の兵士たちが、朝貢のために向かうマラッカ王国の使節団を捕らえてその一部を殺害する一方、生き残った者たちを去勢して宦官とした。この事件の間、トンキン(ベトナム北部)はマラッカ王国征服の意志を示しており、1481年に使節団を通じて明の皇帝にこの意志を伝えた。明の皇帝はマラッカ王国に対して、似たような攻撃が発生することに備えて兵士を増員するよう命じた〔Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland. Straits Branch, Reinhold Rost (1887), p. 251〕〔Tsai (1996), p. 15〕。中国の文献によれば、ベトナムは、ラーンサーン王朝の侵略の期間において、マラッカ王国から敗北を喫した。マレー語の歴史書においても、1471年にベトナムがチャンパ王国に侵攻した 〔Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland. Malaysian Branch (2001), p. 5〕時にチャム族の王子が自分の部下を連れてマラッカで小さなチャム族の植民地を形成し、1590年代にはジョホールに対して他の地域からの侵略を防ぐべく、ジョホールの軍事支援のために部隊を展開したことが記されている。17世紀中頃、チャンパ王国の傘下にあったとクランタンの間は、ベトナム側よりクランタンに対しマレー文化とイスラームを学ぶための外交使節団派遣が長期間にわたって行われたことから、密接な外交的結びつきを醸成していった〔Wong (1995), p. 11〕。ポーロメ王 (Po Rome) とその息子ポーサウト王 (Po Saut) 以降の歴代の国王は、17世紀から18世紀にかけて、クランタンからのマレー・ムスリムによる使節団を定期的に受け入れていた〔Gordon (2001), p. 308〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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