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ヘラクレアの戦い : ミニ英和和英辞書
ヘラクレアの戦い[へらくれあのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ヘラクレアの戦い : ウィキペディア日本語版
ヘラクレアの戦い[へらくれあのたたかい]

ヘラクレアの戦い(''Battle of Heraclea'')は、紀元前280年共和政ローマから攻められた都市国家タレントゥムの要請を受けた、ピュロス王率いるエペイロス軍とローマ軍の間で行われた戦い。
ピュロスは多大な損失を受けながらもこれに辛勝し、タレントゥムを守りきった。
== 背景 ==
タレントゥムはギリシアの植民地マグナ・グラエキアの一部だった。 タレントゥムの主な派閥のメンバー(フィロカリスアイネシアスの下の民主主義者)はローマ人がタレントゥムに入るならギリシア人が独立性を失うという予想のもとにローマに反対していた。
タレントゥムのギリシア人は第3次サムニウム(サムニテス)戦争の後にローマ拡大を恐れるようになった。紀元前290年サムニウムの降伏の後に、ローマ人はアプリアルカニアに多くの植民市を設立した(ルカニアの中で最も重要な都市がウェヌシア(現在のヴェノーザ)だった)。
紀元前282年に、サムニウム人、ルカニア人、ブルティウム人、およびトゥリウム人に対する戦いの後に、ローマ軍はイタリアにあるギリシアの植民地クロトンロクリスレギウムに入った。タレントゥムの民主主義者たちは、ローマがガリア、ルカニア、エトルリア、サムニウム、およびブルティウムとの戦争を終えればすぐに、彼らがタレントゥムにも入るのを予想していた。もうひとつタレントゥム人に影響を与えた出来事は、トゥリウムでは貴族的な派閥が権力を取って、ローマ守備隊を招き入れていたことだった(それまで全マグナ・グラエキア植民市の仲裁者だったタレンティウム人は深くこの事実を心配していた)。
タレントゥム第二の勢力だった貴族層はアギスに率いられていたが、彼はローマに降伏することには反対していなかった。そうなれば貴族層が権力を奪還できるだろうと思ったからである。しかし大衆の支持を失うことになるので、あからさまに降伏することもできなかった。紀元前282年の秋、タレントゥムの海に面した劇場でディオニュソスの祭りが行われている時に、兵士とトゥリウム駐屯兵への補給物資を載せたローマの船団がターラント湾に入ってきた〔Kęciekによれば、タレントゥムの貴族層がローマへの降伏をできるように、ローマ軍の隊長プブリウス・コルネリウスとルキウス・ワレリウスに、タレントゥムの民主政治家とその支持者を捕らえて処刑するように要請したものだった。〕。ローマはターラント湾に入港できないという条約に調印していたので、タレントゥム人はこの船団の入来に立腹して船団を出してローマ船を攻撃し、数隻を沈め一隻を拿捕した。
ローマに勝てる見込みはほとんどないとわかっていたので、タレントゥム人はエペイロス王ピュロスに救援を要請することにした。タレントゥムの陸軍および艦隊はトゥリウムに向かい、その地の民主主義者を助け貴族たちを追放した。トゥリウムのローマ駐屯兵も撤退した。
ローマは事態の解決と捕虜の返還を求めて外交使節団を派遣したが、交渉は打ち切られ、ローマはタレントゥムに宣戦を布告した。紀元前281年、指揮官ルキウス・アエミリウス・バルブラの率いるローマ軍団はタレントゥムに侵入、略奪を行った。タレントゥムもサムニウムとサレント人(en)の援軍を得て戦ったが、ローマ軍に敗北した。この戦いの後、ギリシア人はアギスを選出して休戦協定の調印と外交交渉を始めさせたが、エペイロスから指揮官ミロンが率いる3000の兵が到着し、交渉は中断した。ローマの執政官は退却し、ローマ軍は打撃を受けた。
ピュロスはタレントゥムに借りがあった(以前彼がコルキュラ島を征服する際に助力を得ていた)ので、援軍を送ることにしたのだった。またサムニウムやルカニア、ブルティウム、それにイリュリアのある部族からも援軍があてにできるだろうとわかっていた。彼の最終目標は、紀元前285年に失ったマケドニアを再征服することだったが、そのために必要な兵士を徴用できるだけの財力が当時のピュロスにはなかった。そこでまずタレントゥムを助け、それからシチリアに遠征してカルタゴを攻撃しようともくろんだのである。カルタゴとの戦いに勝利して南イタリアを占領すれば、マケドニアを征服できるだけの強力な軍隊を組織するのに十分な資金も得られるだろうと考えたのだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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