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ブレクール砲塁攻略戦 : ミニ英和和英辞書
ブレクール砲塁攻略戦[ぶれくーるほうるいこうりゃくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ほう]
  1. (n,n-suf) gun 2. cannon 
: [るい]
 【名詞】 1. base (baseball) 
攻略 : [こうりゃく]
  1. (n,vs) capture 
: [りゃく]
  1. (n,n-suf,vs) abbreviation 2. omission 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

ブレクール砲塁攻略戦 : ウィキペディア日本語版
ブレクール砲塁攻略戦[ぶれくーるほうるいこうりゃくせん]

ブレクール砲塁攻略戦(ブレクールほうるいこうりゃくせん、、1944年6月6日)は、第二次世界大戦におけるノルマンディー上陸作戦の一部として戦われた戦闘である。アメリカ陸軍落下傘歩兵部隊がドイツ軍砲台陣地を攻略した。少数の部隊をもってより多数の部隊に対峙した場合の戦術と、リーダーシップのあり方についての古典的な実例として取り上げられる。
== 背景 ==
1944年6月6日未明のノルマンディー降下作戦において、第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第2大隊E中隊長トーマス・ミーハン中尉の搭乗したC-47輸送機が撃墜された。このことにより、中隊の指揮権はリチャード・ウィンターズ中尉に委譲された。1944年6月6日早朝、ノルマンディー地方の西にあるグランシュマン村にて部隊と合流したウィンターズ中尉は、中隊の指揮を任されるなり、「ブレクール・マノールという、近郊の生垣に敵の砲塁がある。何とかしろ」(There’s fire along that hedgerow there. Take care of it.)との命令をうけた。戦場の状況説明もなかったが、ウィンターズはこのドイツ軍の砲台を破壊するべく行動を開始した〔アンブローズ (2002),p.124〕。なお当初の報告によると、ドイツ軍の88mm砲ユタ・ビーチ第2堤防を砲撃し第4歩兵師団の上陸を妨げているとのことで、実際にいくつかのアメリカ軍部隊がこのドイツ軍陣地に遭遇し撃退されていた。
午前8時30分、ウィンターズは敵陣を偵察した後、自身と他の部隊から計13名の兵を選出した。砲塁の位置についてはおおまかにグランシュマン村南部とだけ知らされており、敵戦力も不明なまま、ウィンターズ率いる部隊はユタ・ビーチ南西4.8km、サン・マリー・デュモンの北に位置するブレクール砲塁に攻撃を開始した。ウィンターズはそこで塹壕で繋げられた105mm砲4門と一個小隊に守備された第90砲兵連隊第6砲兵中隊と遭遇した〔Winters, Dick ''Beyond Band of Brothers''〕。
ウィンターズは当初、敵部隊はMG42機関銃を備えたドイツ軍第6降下猟兵連隊の一部であると考えた。しかしこの第6降下猟兵連隊第1大隊は、6月6日午後のうちにカランタンからサン・マリー・デュモンへ到達するよう命令を受けていたが、実際に到着したのは夜になってからであった。またドイツ軍第709歩兵師団第919歩兵連隊第1中隊がサン・マリー・デュモンに配備され近郊の守備を担当することになっていた。一方、ドイツ軍第91空輸歩兵師団の第1058歩兵大隊のうち少数がこのエリアの守備にあたっており、砲台守備隊もその一部であった。他にも第709歩兵師団の補助部隊である第795グルジア歩兵大隊はノルマンディー地方北西のテュルクヴィルに配備されていたが、地形的な困難もありこの場にいたとは考えられない。いずれの部隊がこの砲台陣地を守備していたにせよ、ウィンターズ中尉率いるアメリカ陸軍パラシュート部隊は約60名のドイツ軍兵士と敵対することになった。
なお、もともとこの4門の105mm砲をまかされた部隊はアメリカ空挺部隊が降下してきた夜のうちに逃亡したようであった。ドイツ軍第6降下猟兵連隊のフリードリッヒ・フォン・デア・ハイテ中佐は、ユタ・ビーチへ敵兵が上陸してくるのを確認した際、この砲塁が放棄されているのを見つけると、カランタンに赴き第1大隊に人員を手配してこの砲塁を守備させるよう命じていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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