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フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ[ちょうおん]

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ男爵Friedrich Wilhelm Freiherr von Seydlitz-Kurzbach, (
* 1721年 2月3日クレーフェ公国カルカーに生誕、1773年 11月8日オワヴァで死没)はプロイセン王国騎兵大将。プロイセンで最も著名な騎兵 指揮官の一人。
== 初期の軍歴 ==
騎兵少佐であった父、ダニエル・フロリアン・フォン・ザイトリッツ〔
〕が1728年に没すると、母は子供たちを連れてバート・フライエンヴァルデへ移住した。同地で通学し、苦しい生活の中で成長すると13歳の時、大佐として父の上官であった辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの宮廷にペイジとして迎えられている。そこでザイトリッツは、非凡なほど馬術に習熟した〔Duffy, op. cit., p. 136〕 。1740年、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は彼を胸甲騎兵連隊の准尉として、シュヴェートからビャウォガルトに転属させた。その上でザイトリッツは第一次シュレージエン戦争に参加し、活躍する。
1742年捕虜となった時、身柄をオーストリア大尉と交換されるほどであった。
1743年フリードリヒ大王から第4フザール連隊の大尉に任命されると、ザイトリッツは彼の中隊を訓練し、著しい効果を上げた。そして第二次シュレージエン戦争に従軍し、ホーエンフリートベルクの戦いに勝利した後、24歳の若さで少佐に昇進している。
終戦の間際、ザイトリッツは15個の騎兵中隊を敵前で巧みに指揮した。また閲兵の際、フリードリヒ大王の御前で騎兵の指揮に才能を示し、1752年中佐1753年に第8胸甲騎兵連隊の連隊長へ昇進した。彼の手で、間もなく同連隊はプロイセン王国全軍の模範となる。1755年には、大佐に昇進した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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