翻訳と辞書
Words near each other
・ フリードリヒ・ウェーラー
・ フリードリヒ・ウルリヒ (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)
・ フリードリヒ・エルトマン (アンハルト=ケーテン=プレス侯)
・ フリードリヒ・エルンスト・ルートヴィヒ・フィッシャー
・ フリードリヒ・エンゲル (ナチス)
・ フリードリヒ・エンゲルス
・ フリードリヒ・エンゲルス衛兵連隊
・ フリードリヒ・エーベルト
・ フリードリヒ・エーベルト (息子)
・ フリードリヒ・オットー・ショット
フリードリヒ・オルブリヒト
・ フリードリヒ・カウルバッハ
・ フリードリヒ・カジミール・ケトラー
・ フリードリヒ・カルクブレンナー
・ フリードリヒ・カール (ヴュルテンベルク=ヴィンネンタール公)
・ フリードリヒ・カール (装甲巡洋艦)
・ フリードリヒ・カール・アルベルト・シュヴェーグラー
・ フリードリヒ・カール・アンドレアス
・ フリードリヒ・カール・ギンツェル
・ フリードリヒ・カール・フォン・エバーシュタイン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリードリヒ・オルブリヒト : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ・オルブリヒト[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フリードリヒ・オルブリヒト : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ・オルブリヒト[ちょうおん]

フリードリヒ・オルブリヒト(Friedrich Olbricht, 1888年10月4日 - 1944年7月21日)は、ドイツ軍人。最終階級は陸軍大将。1944年7月20日ヒトラー暗殺計画に参加したが失敗、決行翌日に処刑された。
== 経歴 ==
ザクセン王国バウツェン生まれ。ギムナジウムを卒業し、アビトゥーア合格後の1907年に陸軍に入り、ライプツィヒの第106歩兵連隊で士官候補生となる。第一次世界大戦に従軍。戦後の1919年、ヴェルサイユ条約で縮小されたドイツ陸軍大尉として残る。1926年、国防省外国軍課課長に就任。1933年、ドレスデン師団で参謀長。1935年、ドレスデンの第4軍団参謀長に就任。1938年、第24歩兵師団長を拝命。
第二次世界大戦が勃発した1939年9月、師団を率いポーランド侵攻に従軍、騎士鉄十字章を受章。翌年2月、歩兵大将に昇進。陸軍総司令部一般陸軍局長に任命される。1943年、国防軍最高司令部国防予備局長となる。
ルートヴィヒ・ベック元参謀総長、カール・ゲルデラーヘニング・フォン・トレスコウ少将を中心とする反ヒトラー・グループに参加し、ヒトラー暗殺計画に加わる。1943年、7月20日事件の実行役となるクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を自分の部局員に加える。1944年7月20日の決行当日はアルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイムと共に、「ヴァルキューレ作戦」において、決行後の治安維持に備え国内予備軍の動員を画策した。しかし暗殺計画は失敗し同日深夜、国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム上級大将の即決裁判により死刑を宣告され、日付が変わった7月21日午前0時過ぎ、シュタウフェンベルク、ヴェルナー・フォン・ヘフテンと共に、ベルリン・ベンドラーブロックの国内予備軍司令部の中庭で銃殺された。
戦後は顕彰の対象となり、1972年にはベルリン・シャルロッテンブルク地区に「オルブリヒト・ダム」が、ライプツィヒには「オルブリヒト兵舎」と「オルブリヒト通り」が、墓所のあるドレスデンには「オルブリヒト広場」がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリヒ・オルブリヒト」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.