翻訳と辞書
Words near each other
・ フリッツ・ハーバー研究所
・ フリッツ・ハールマン
・ フリッツ・バイエルライン
・ フリッツ・バッテンバーグ・ビーチェル転位
・ フリッツ・バルター
・ フリッツ・フィッシャー
・ フリッツ・フィッシャー (歴史学者)
・ フリッツ・フォン・ウーデ
・ フリッツ・フォン・エリック
・ フリッツ・フォン・オペル
フリッツ・フォン・ベロウ
・ フリッツ・ブッシュ
・ フリッツ・ブルン
・ フリッツ・プフェファー
・ フリッツ・プレーグル
・ フリッツ・ホフマン
・ フリッツ・ホフマン・ラ・ロシュ
・ フリッツ・マウトナー
・ フリッツ・マッケンゼン
・ フリッツ・マハループ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリッツ・フォン・ベロウ : ミニ英和和英辞書
フリッツ・フォン・ベロウ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フリッツ・フォン・ベロウ : ウィキペディア日本語版
フリッツ・フォン・ベロウ

フリッツ・ヴィルヘルム・テオドール・カール・フォン・ベロウ(Fritz Wilhelm Theodor Carl von Below、1853年9月23日 - 1918年11月23日)は、ドイツ帝国軍人。最終階級は陸軍大将第一次世界大戦中のソンムの戦いのドイツ側司令官として知られる。
== 来歴 ==
西プロイセンダンツィヒに、古い貴族の家系であるベロウ家の一員として生まれる。父フェルディナントは陸軍少将、第一次世界大戦で活躍したオットー・フォン・ベロウ将軍は従兄弟にあたる。20歳でプロイセン軍に入営し、1906年に大参謀本部で参謀次長にまで上り詰めた。1908年にベルリンの第1近衛師団長に転じる。1912年に歩兵大将に昇進し、ザールブリュッケンに司令部のある第XXI軍団司令官に任命された。
第一次世界大戦ではパウル・フォン・ヒンデンブルクの後任として東部戦線第8軍司令官に就任し、1915年2月のマズール湖畔の戦いを指揮した。1915年4月に西部戦線に転属となり、カール・フォン・ビューロウの後任として第2軍の司令官に就任した。1916年のソンムの戦いでは指揮下の3個師団で激しい防衛戦を戦った。同年7月に第1軍、のちに第9軍司令官に転じた。その功績により1916年8月に柏葉付プール・ル・メリット勲章を受章した。
第一次世界大戦の停戦直後にヴァイマルで死去し、ベルリンの軍人墓地に葬られた。
1938年から第二次世界大戦の終結までザールブリュッケンにあったドイツ国防軍兵舎は「ベロウ兵舎」と呼ばれ、戦後はフランス軍が「ヴェルダン兵舎」と改名して使用した。1948年以降は新設のザールラント大学に使用され、3学部により使用されている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリッツ・フォン・ベロウ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.