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フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン : ミニ英和和英辞書
フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン : ウィキペディア日本語版
フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン[ちょうおん]

フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン男爵(Ferdinand Freiherr von Richthofen1833年5月5日 - 1905年10月6日)は、ドイツ地理学者探検家
近代的地形学の分野の創設者とされ、中国の研究を通じて、シルクロードの定義を定めた。
リヒトホーフェンは、ブレスラウ大学(現ヴロツワフ大学)及びベルリン大学で学んだ。1856年に学位を授与した後、地質学者として働いた。1856年から1860年にかけて、南チロルアルプス山脈)とトランシルヴァニアカルパティア山脈)で、地質学的調査を行なった。そして1868年から1872年にかけて中国の調査を行い、それを『シナ』という著書にまとめる。その際に「ザイデンシュトラーセン(絹の道)」という言葉を初めて用いた。
1872年にドイツへ帰国した後、リヒトホーフェンはベルリン地理学会の会長を勤めた。1875年ボン大学の地実学教授になり、1883年ライプツィヒ大学に地理学教授として移動した。1886年、リヒトホーフェンはベルリン大学に招聘された。彼の弟子にはスウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンがいる。第一次世界大戦の撃墜王として知られる「赤男爵(レッド・バロン)」ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェン、およびマンフレートの弟のロタール・フォン・リヒトホーフェンは彼の甥に当たる。
== 主な著書 ==

* "China, Ergebnisse eigener Reisen" (5 Bände mit Atlas,1877-1912)
* "Führer für Forschungsreisender" (1886)
* "Geomorphologische Studien aus Ostasien" (4 Hefte, 1901-03)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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