翻訳と辞書
Words near each other
・ フィリップ・ド・サン=ポル
・ フィリップ・ド・サヴォワ
・ フィリップ・ド・シャンパーニュ
・ フィリップ・ド・シャンペーニュ
・ フィリップ・ド・ナヴァール
・ フィリップ・ド・フランス
・ フィリップ・ド・フランス (1116-1131)
・ フィリップ・ド・ブルゴーニュ
・ フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1323-1346)
・ フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415)
フィリップ・ド・ブロカ
・ フィリップ・ド・ベルジック
・ フィリップ・ド・ベルジック (フランドル伯)
・ フィリップ・ド・ベルジック (ブラバント公)
・ フィリップ・ド・モンモランシー
・ フィリップ・ド・ラ・イール
・ フィリップ・ド・ラースロー
・ フィリップ・ド・ロチルド
・ フィリップ・ド・ロッチルト
・ フィリップ・ド・ロッチルド


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フィリップ・ド・ブロカ : ミニ英和和英辞書
フィリップ・ド・ブロカ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フィリップ・ド・ブロカ : ウィキペディア日本語版
フィリップ・ド・ブロカ

フィリップ・ド・ブロカPhilippe de Broca1933年3月15日 - 2004年11月26日) はフランスパリ生まれの映画監督
== 来歴・人物 ==
1933年3月15日、貴族出身の写真家の子息として生まれる。
高校時代からシネフィル(映画好きのフランス語における表現)であったド・ブロカは、写真・映画学校(エコール・ルイ=リュミエール École Louis-Lumière)で最初の短編映画を演出している。卒業するとアフリカ探検隊に加わり、短編ドキュメンタリを撮ることからはじめた。兵役年齢に達するとアルジェリア戦線の映画班に配属され、ニューズ・リポーターをつとめたあと映画界に入る。1950年代末のフランスはヌーヴェル・ヴァーグの誕生した時代であり、ド・ブロカはクロード・シャブロルの『美しきセルジュ』(1958年)、『いとこ同志』(1959年)、『二重の鍵』(1959年) やフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)などヌーヴェル・ヴァーグの中心人物のもとで助監督をつとめた。またジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年) には端役で出演している。
1960年、最初の長編劇映画『''Les Jeux de l'amour''』を監督。ジャン=ピエール・カッセル主演のこのコメディ映画の脚本家ダニエル・ブーランジェとはその後も数多くの作品でコンビを組むことになる。1962年の『大盗賊』は18世紀のパリを舞台にした冒険活劇だが、主演のジャン=ポール・ベルモンドのそれまでにないコミカルな役柄も評判となり、ド・ブロカ=ベルモンド・コンビの作品が次々と産み出されることになる。1963年の『リオの男』は世界的ヒットとなり、ニューヨーク映画批評家協会賞の外国語映画賞を受賞、またアカデミー賞でも最優秀脚本賞にノミネートされた。
ド・ブロカの作風はコミカルでウィットに富んだ軽妙なものであるが、物語のシチュエーションは奇想天外なものが多く、そこに風刺を読み取るファンも多い。なかでも『まぼろしの市街戦』(1967年) や『君に愛の月影を』(1969年) といった作品はカルト映画として人気が高い。1990年の『シェーラザード』(キャサリン・ゼタ=ジョーンズの初主演作)や1995年の『陽だまりの庭で』なども独特のファンタジーとして話題を呼んだ。
2004年には39作目の監督作品『''Vipère au poing''』を完成したが、同年11月26日ヌイイ=シュル=セーヌアメリカンホスピタルL'Hôpital Américain de Paris)で肺癌のため死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィリップ・ド・ブロカ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.