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ファヴェーラ : ミニ英和和英辞書
ファヴェーラ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファヴェーラ : ウィキペディア日本語版
ファヴェーラ[ちょうおん]

ファヴェーラ(ファヴェラ、favela)は、ブラジルにおいてスラムや貧民街を指す言葉。ブラジルのほぼすべての大都市および中規模都市の郊外には、不法居住者の建てた小屋の並ぶファヴェーラや、既存の町がスラム化したファヴェーラが存在する。中でもリオデジャネイロ市のファヴェーラがもっとも有名で、カリオカ(リオデジャネイロっ子)の4人に1人はファヴェーラに住むとされる〔RIO DE JANEIRO: Microcosm of the Future. By: Foek, Anton. Humanist, Jul/Aug2005, Vol. 65 Issue 4, p31-34, 4p. 〕。ファヴェーラの多くは、公有地や所有権を巡って係争のある土地などを不法占拠する形で小屋や家屋が築かれたもので、一般的にブラジルの諸都市はファヴェーラの存在を法的実体として認知していない。
ファヴェーラの建物は非常に建て込んでおり一軒一軒も狭く、地形に合わせた階段や通路が家々の間を通っている。このため自動車は通行できないことが多い。コンクリートレンガで造られた家から廃材で作られた家まで様々であるがいずれも無断で建てられている。おおむね衛生状態は悪く下水処理や病気に悩んでいる。ファヴェーラによっては家々に電気が通り夜には明かりがきらめくが、これは付近の電線から勝手に電線を引いた盗電である。都市周囲の山の斜面に建てられたファヴェーラも多く、大雨の後に地滑りが起こり大勢の犠牲者が出ることも相次いでいる。
ファヴェーラの人々は、ファヴェーラの外の都心などで低賃金の仕事に就くことが多いが、失業ドラッグギャング同士の抗争といった社会問題も深刻である。
== 歴史 ==
ファヴェーラという名称の起源は、ブラジル北東部ステップ気候の地方に生える、とげの多い葉の植物に由来する〔Neuwirth, R (2004) Shadow Cities: A Billion Squatters, A New Urban World, Routledge ISBN 0415933196〕。1895年から1896年にかけて北東部バイーア州で、自称助言者のアントニオ・コンセリェイロとその信者たちがの町を築き、政府との間でカヌードス戦争が起こった。政府は反乱軍の鎮圧のために元奴隷の黒人らを徴兵した。徴兵された兵士らはカヌードス戦争が政府の勝利で終わり任務を解かれると大都市へと流れ、多くは当時の首都リオデジャネイロに移住したが、政府は彼らに住居を提供することができなかった〔Favelas commemorate 100 years - accessed December 25 2006 〕。結局1897年11月、元兵士らはリオデジャネイロのモーホ・ダ・プロヴィデンシア(Morro da Providência)という丘にあった公共の土地に、自分たちで家を建てた。彼らは新しい街を、カヌードスの反乱軍との勝利の地に生い茂っていた植物にちなみ、モーホ・ダ・ファヴェーラ(Morro da Favela)と名付けた。
やがてカヌードスの元兵士に代わり、奴隷から解放された自由黒人らがファヴェーラに流入し、ファヴェーラは黒人を主としインディオメスティーソらも住む貧民街へと変わっていった。ファヴェーラの町が建設されるより前から貧しい黒人は都心から郊外へと押しやられていたが、都心で歓迎されない黒人たちにとって、ファヴェーラは働き口の多い都心に近い位置にあり、ちょうどいい移住先となった。
ファヴェーラの町が建設される前にも、逃亡した黒人奴隷が築いた村落・キロンボ(quilombo)がリオデジャネイロ周辺の山の斜面に点在しており、1888年に奴隷制度が廃止されると同時に行き場のない黒人たちが流入して大きくなっていた。ファヴェーラは都市が過密化したり不動産への関心が今日のように高まったりする前に形成されている。1940年代には住宅危機が起こり、都市部の貧民たちは郊外に無数のバラック街を築いた。この時期、貧しいリオ市民の主な居住地は、集合住宅や小さな家からファヴェーラへと代わる。ファヴェーラの爆発的成長は、1940年代にジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが産業化を進めて数多くの国民が大都市へ、特にサンパウロや当時は首都で連邦区だったリオデジャネイロへと流入した時期、および1970年代にファヴェーラがリオデジャネイロ市の範囲を超えて都市圏の外縁部まで達した時期にあたる〔Pino, Julio Cesar. Sources on the history of favelas in Brazil.〕。今日のファヴェーラの多くは、建設ブームで大都市に地方の農民らが流入した1970年代がピークであった。低層住宅の立ち並ぶスラム化した地区から溢れた人々は、丘の上に不法居住の家屋を築いていった。ファヴェーラはどれも異なった時期に異なった経緯で形成されているが、最終的には貧困層の住む地域という共通点を持つに至っている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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