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ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン : ミニ英和和英辞書
ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン : ウィキペディア日本語版
ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン[ちょうおん]

ファビアン・ゴットリープ・タッデーウス・フォン・ベリングスハウゼン ( – ; , ファッデイ・ファッデーイヴィッチ・ベリンスガウゼン)
は、ロシア帝国海軍バルト・ドイツ人士官地図製作者探検家、最終的に提督へと昇進した。ロシア最初の世界周航参加者であり、その後、艦長として新たに行われた世界周航で南極の大陸を発見した。
バルチック艦隊で軍務を開始、頭角を現した後、1803年から1806年にかけてロシア最初の世界周航 (First Russian circumnavigation)に参加し、フリゲートナデジダで艦長アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンのもとで軍務を務めた。
周航後、新たに探検した領域や太平洋諸島の地図集を発表した。その後、バルチックならびに黒海艦隊で数隻の軍艦を指揮した。
有能なる地図製作者であったベリングスハウゼンは1819年から1821年にかけて行われる世界周航の采配を振るよう任命された。南極海を探検する目的だったが、南極点の近くで陸地を発見した。遠征隊はベリングスハウゼンの副将としてスループミルヌイの艦長だったミハイル・ラザレフ (Mikhail Lazarev)によって準備されたと同時にベリングスハウゼン自身はスループヴォストークの艦長になった。
遠征中にベリングスハウゼンとラザレフは1820年1月28日(新暦)に南極の陸地を発見した最初の探検家となった。彼らは2度にわたり大陸を周航し、互いに見失わなかった。かれらは南部の氷原に陸地を見つけることは不可能であったというキャプテン・クックの主張に対して反証した。遠征隊はピョートル1世島ザヴォドフスキー島 (Zavodovski Island)、レスコフ島ビソコイ島 (Visokoi Island)、南極半島アレクサンドル1世島等を発見、命名した、そしてまた、太平洋の熱帯海域に複数の発見をした。
准提督として復帰、1828から1829年にかけて露土戦争に参加した。海軍中将に昇進し、1830年代に再びバルチック艦隊に務め、1839年からクロンシュタット軍事総督を務めていたところで亡くなった。 1831年、著作名「2回の南極海調査と世界一周航海」()
と題された南極航海の著作を発表した。
ベリングスハウゼンの栄誉をたたえて名付けられた複数の地理上所在地があり、南極地探検で彼が果たした任務を偲ばせ、ロシアにおいて最も偉大な提督、探検家の一人であったと記憶されている。
== 生涯 ==

ロシア帝国エストニア県サーレマー島Lahhentagge領地(現在エストニアサーレ県Salme Parish)のバルト・ドイツ人の家庭で生まれた。10歳の時にクロンシュタットにあるロシア帝国海軍幼年学校に入学した。 18歳でクロンシュタット海軍兵学校を卒業。1796年にイギリス沿岸の遠征に参加。1797年に准士官へ昇進した。
1803年からスループナデジダ艦長アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンの指揮下でロシア最初となる世界一周に士官の1人として参加した。1806年に世界周航の任務を全うした。バルト海や黒海でさまざまな軍艦を指揮した。 黒海艦隊において1812年から1816年までフリゲートミネルバ〔Чернышёв А. А. Российский парусный флот. Справочник. — М.: Воениздат, 1997. — Т. 1. — С. 240. — 312 с. — (Корабли и суда Российского флота). — 10 000 экз. — ISBN 5-203-01788-3〕、1817年から1819年までフリゲートフローラをそれぞれ指揮した〔Чернышёв А. А. Российский парусный флот. Справочник. — М.: Воениздат, 1997. — Т. 1. — С. 241. — 312 с. — (Корабли и суда Российского флота). — 10 000 экз. — ISBN 5-203-01788-3〕。
1819年に皇帝アレクサンドル1世は南極地遠征を承認、官憲は経験豊かな士官ならびに探検家そして著名な地図製作者として先頭に立つベリングスハウゼンを選択した。遠征は南極海の調査のつもりだったが、南極点の近くで陸地を発見した。世界周航の前にミハイル・ラザレフ (Mikhail Lazarev)によって985トン級スループ砲艦ヴォストークおよび530トン級支援船ミルヌイの2隻の航海船を用意した。ベリングスハウゼンはヴォストーク艦長、ラザレフはミルヌイ艦長となった。遠征は1819年6月4日にクロンシュタットから始まった。
1819年9月5日にベリングスハウゼン遠征隊はポーツマスを出航し、同年11月2日、ブラジルのリオデジャネイロに到着した。そこから、まっすぐと南へ進行、サウスジョージア島やサウスサンドイッチ諸島を通過した。1820年の1月26日に南極圏を横断。遠征隊は1820年の1月28日、南極沿岸に接近、座標点69º21'28"S 2º14'50"Wで南極本土を発見した。その後、1820年の2月にオーストラリアのシドニーへと向かい、南太平洋やインド洋を航行、ニュージーランドにあるシップコーブやトゥアモトゥ諸島等その他数多くの島や環礁を回った。ラカハンガ環礁を訪問したあとシドニーに帰港した。1820年11月にベリングスハウゼン遠征隊は出航、オーストラリアのマッコーリー島を訪れたあと再び南極海へと向かう。
ベリングスハウゼンは遠征中にサウス・シェトランド諸島を訪問。そして、ベリングスハウゼン海にあるピョートル1世島ザボドフスキー島南極半島アレクサンドル1世島,
レスコフ島ビソコイ島 (Visokoi Island)等を発見した。1821年の7月24日(8月5日)にロシア帝国クロンシュタットへと帰国を果たし、751日間にわたった遠征は幕を閉じた。
1821年8月4日にクロンシュタットに戻り、ベリングスハウゼンは准提督となった。1828年から1829年にかけて露土戦争で戦い、1830年に中将の階級へと昇進を果たした。1831年に南極航海の著作「2回の南極海調査と世界一周航海」()を公表した。功績を称えられ聖ゲオルギー勲章聖ウラジーミル勲章等を授与された。1839年からクロンシュタット軍事総督に任命され、1852年にクロンシュタットで亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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