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ピュテアス : ウィキペディア日本語版
ピュテアス

マッシリアのピュテアス(、紀元前4世紀)は、ギリシア植民都市マッシリア(現在のマルセイユ)出身のギリシア人地理学者、探検家。紀元前325年ごろ、北西ヨーロッパへの冒険航海に出た。グレートブリテン島各地を訪れている。白夜極冠〔理論的には高緯度の寒帯では非常に夏の夜が短くなり、夏至には太陽が沈まなくなることは既に知られていた。また冬には暗闇となり万年雪のある国(ヒュペルボレイオスの国)の話も数世紀前から地中海沿岸地域で知られるようになっていた。ピュテアスは北極圏を探検目的で訪れた最初の人物として知られている。〕、ゲルマン人について最初の記録を残した人物であり、フィン諸語種族と見られる民族についても最初の記録を残している。遠いトゥーレの伝説を地理的想像力に導入した人物でもあり、潮汐の原因が月だということを最初に述べた人物でもある。
== 航海時期について ==
大プリニウスは、紀元前350年ごろ生まれた歴史家ティマエウスがピュテアスがコハクを発見したという話を信じていたと伝えている〔大プリニウス 『博物誌Book 37, Chapter 11 .〕。ストラボンは、紀元前285年ごろ亡くなったディカエアルコスはピュテアスの話を信じていなかったと伝えている〔。ピュテアスの航海の期間についての手がかりはそれらの記述が全てである。ティマエウスが何かを書き記すとしたら20歳(紀元前330年)以降だと考えられ、ディカエアルコスが後世に残るような作品を書いたのは紀元前300年以降と考えられるため、Tozer は航海が紀元前330年から紀元前300年の間になされたと推定した。中にはティマエウスが書き残すにはあと5年必要だとして、早くとも紀元前325年以降だとしている。他には全く証拠がない。
ピュテアス自身が20歳以前には何も書いていないと仮定すれば、ティマエウスやディカエアルコスは同時代に生きており、作家として競合していたと考えられる。彼らがピュテアスの書いた物を読んだのなら、上述の期間の初期にピュテアスの航海記が書かれたはずである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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