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パリの歴史 : ミニ英和和英辞書
パリの歴史[ぱりのれきし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

パリの歴史 : ウィキペディア日本語版
パリの歴史[ぱりのれきし]
パリの歴史は、2,500年以上に及ぶ。その起源はガリア人の小集落であるが、ヨーロッパ近代国家における多文化都市、かつ最も代表的な世界都市の1つに発展を遂げた。
== 古代 ==

少なくとも紀元前4世紀から、現在のパリの場所には人が居住していた。この時期の出土品によると、セーヌ右岸のベルシー付近に集落があり、シャセ文化 (Chasséen culture) の特徴を有している。現在のパリの場所には、紀元前250年頃にケルト系部族のパリシイ族(Parisii) が集落を形成し、セーヌ川の河畔に漁村が作られていたとされる。以前、当時の集落はシテ島にあったとされていたが、最近の研究では疑問が呈され、近年の出土品によると、ローマ時代以前のパリ地域最大の集落は現在のパリ郊外のナンテールにあった可能性が示されている。
パリは繁栄し、河川の航行や交易上の拠点として戦略的な位置を占めた。この地域では、紀元前52年、ウェルキンゲトリクスがケルト人を率い、カエサルのもとのローマ帝国に対し反乱を起こしたが、これを鎮圧され、ローマ人の支配下に入った。紀元前1世紀末、パリのシテ島とセーヌ川左岸のサント・ジュヌヴィエーヴの丘は、ルテティアと呼ばれた新しいローマ人集落の中心となった。
ローマ人の支配下で、パリはローマ化が進んで発展したが、この地方の首都ではなかった。3世紀にサン・ドニが町で最初の司教となり、パリはキリスト教の都市となった。これは必ずしも平和裏に行われたのではなく、250年頃、サン・ドニと2人の同胞は捕えられ、現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられた。
ルテティアは212年、この地方の先住民パリシイ族(Parisii) の名称をとってパリに改称されたが、3世紀、4世紀は戦乱が多く安定しなかった。異民族の攻撃を受け、防御のための城壁が建設された。357年コンスタンティヌス1世の甥であるユリアヌスがパリの新しい長として着任した。コンスタンティヌス1世はキリスト教をローマ帝国の正式な宗教としたことで有名であるが、ユリアヌスは「背教者」でありキリスト教の優遇を廃した。彼は361年にローマ皇帝となったが、そのわずか2年後に戦死した。
ローマ帝国による北ガリアの支配は、5世紀に崩壊した。451年にこの地方はフン族アッティラ王に侵略され、パリも攻撃される危機に直面した。伝説によると、聖女サン・ジュヌビエーブ(:en:Genevieve)とその信者の敬虔な行為によってこの町は救われ、祈りにより、アッティラの部隊はパリから南に去って行ったとされる。サン・ジュヌビエーブは今日でも、パリの守護聖人とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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