翻訳と辞書
Words near each other
・ バンクーバーオリンピックフィギュアスケート競技ペア
・ バンクーバーオリンピックフィギュアスケート競技女子シングル
・ バンクーバーオリンピックフィギュアスケート競技男子シングル
・ バンクーバーオリンピックメダリスト一覧
・ バンクーバーオリンピック中国選手団
・ バンクーバーオリンピック日本選手団
・ バンクーバーオリンピック韓国選手団
・ バンクーバーキャット
・ バンクーバーパラリンピック
・ バンクーバーパラリンピック日本選手団
バンクーバー・カナックス
・ バンクーバー・カナディアンズ
・ バンクーバー・キャット
・ バンクーバー・グリズリーズ
・ バンクーバー・コミュニティカレッジ
・ バンクーバー・コミュニティ・カレッジ
・ バンクーバー・スカイトレイン
・ バンクーバー・ドラゴンズ
・ バンクーバー・ハーバー水上空港
・ バンクーバー・ホワイトキャップス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

バンクーバー・カナックス : ミニ英和和英辞書
バンクーバー・カナックス[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バンクーバー・カナックス : ウィキペディア日本語版
バンクーバー・カナックス[ちょうおん]

バンクーバー・カナックスVancouver Canucks)はカナダブリティッシュコロンビア州バンクーバーを本拠としているナショナルホッケーリーグNHL)所属のプロアイスホッケーチームである。
== 歴史 ==
1945年に太平洋岸ホッケーリーグ (Pacific Coast Hockey League, PCHL) はバンクーバー市にアイスホッケーのフランチャイズ権を与えることとした。そこで設立されたのが、バンクーバー・カナックスである。カナックスは、創設わずか2年で PCHLで優勝する順調な滑り出しを見せた。
1952年には、PCHLが西部カナダシニアホッケーリーグ (Western Canada Senior Hockey League) と合併しプロマイナーリーグである西部ホッケーリーグ (Western Hockey League, WHL) が誕生する。カナックスからは、ジョニー・バウアー(Johnny Bower)、アンディー・バスゲート(Andy Bathgate)、トニー・エスポジト (Tony Esposito) 、ボビー・オア (Bobby Orr) 、フィル・マロニー (Phil Maloney) といったスター選手が輩出されて、チームは1958年1960年1969年 及び1970年レスター・パトリック・カップ (Lester Patrick Cup) を獲得する。
1965年になると、NHLはリーグに新たに6チームを加える市場拡大構想を発表した (この構想により誕生したチームはのちに「エクスパンション・シックス」と呼ばれる)。当時WHLに加盟していたカナックスのオーナーであり、元バンクーバー市長も務めたフレッド・ヒューム (Fred Hume) はバンクーバー市もこの構想に乗って参加申請することを発表した。
ところが、NHLの理事会 (Board of Governors) に対するプレゼンテーションの準備がずさんを極めていた。このことに加えて、バンクーバーのオーナーグループがシカゴ・ブラックホークスのオーナー、ジェームス・ノリス (James Norris) やトロント・メープルリーフスのオーナー、スタフォード・スマイス(Stafford Smythe、バンクーバー市におけるアリーナ設置計画に失敗したため、同市を毛嫌いしていたと一般的にいわれる)らと反りが合わなかったことから、参加申請は不調に終わった。
にもかかわらず、バンクーバーにNHLフランチャイズチームが設立されることを見込んで、ホーム用としてバンクーバー展示場の敷地にパシフィック・コロシアムが建設された。
1970年、別のバンクーバーのオーナーグループが、マイナーリーグ所属のカナックスを買収し、度重なる協議の結果、カナックスは加盟金6百万ドルを支払いNHLに参加することが決定された。このとき、東西の2地区の均衡を保つためにカナックスは、バンクーバーが北米大陸の西海岸にあるにも拘らず、東部地区に配置された(また同年には、シカゴ・ブラックホークスが東部地区から西部地区に配転されている)。
1970年新設時のデータ
:キャプテン: Orland Kurtenbach
:初試合: 1970年10月9日 対 ロサンゼルス・キングス
:初勝利: 1970年10月11日 対トロント・メープルリーフス戦 5対3
:初ゴール: Barry Wilkins 、対 ロサンゼルス・キングス
カナックスは、チーム史上3度スタンレー・カップ決勝に進出している(2011年時点)。
初進出は、1982年でこのときは、ニューヨーク・アイランダースと対戦し4連敗となす術もなく完敗している。
1994年、2度目のスタンレー・カップ決勝に進出した際は、キャプテンのトレーバー・リンデン、点取り屋のパベル・ブレゴーリーカーク・マクリーンの活躍もあり、西カンファレンスの第7シードから這い上がり、まさにダークホースでありながらカップ決勝進出を決めた。カップ決勝ではニューヨーク・レンジャースと対戦し、3勝4敗と惜敗した。ちなみにこのとき敗北暴動がバンクーバーで起こっている。
その後はマーク・メシエ(Mark Messier)などがチームに入るものの、1994年ほどの結果は残せていない。
さらに、プレーオフにも進出できないようになってきたが、2006年にフロリダ・パンサーズから、スーパースター・ロベルト・ルオンゴ(Roberto Luongo)を獲得し、久々にプレーオフ進出を果たした。
Luongoは初のプレーオフだったが、1回戦の相手ダラス・スターズと猛烈なゴーリー戦(スターズのゴーリー、Turcoは3完封)を繰り広げた末、4勝3敗ながら2回戦進出を果たした。しかし、2回戦ではそのごスタンレーカップを取ることになるアナハイム・ダックスと対戦、結局得点力不足を克服できないまま2回戦で敗退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バンクーバー・カナックス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.