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ハンガリー舞曲集 : ミニ英和和英辞書
ハンガリー舞曲集[しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [まい]
 【名詞】 1. dancing 2. dance 
舞曲 : [ぶきょく]
 【名詞】 1. musical dance 2. music and dancing
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [しゅう]
 【名詞】 1. collection 

ハンガリー舞曲集 ( リダイレクト:ハンガリー舞曲 ) : ウィキペディア日本語版
ハンガリー舞曲[はんがりーぶきょく]

ハンガリー舞曲集》(ハンガリーぶきょくしゅう、 は、ヨハネス・ブラームスハンガリージプシーロマ)音楽に基づいて編曲した舞曲集。もとは四手用のピアノ曲として書かれた。全部で21曲あり、それぞれの長さは1分程度のものから4分程度のものまでとまちまちである。中でも、管弦楽用に別人によって再編曲された《第5番》がとりわけ有名である(曲自体はケーレル・ベーラチャールダーシュ"Bártfai emlék"による)。
== 作曲の経緯 ==
ブラームスは1850年代の前半に、エドゥアルト・レメーニの伴奏者としてドイツの各地で演奏旅行を行い、その時にレメーニからジプシー音楽(ロマの民族音楽)を教えられて魅了された。それ以来ブラームスはそれをハンガリーの民族舞曲と信じて採譜を続け、1867年に出版社のジムロックに最初の6曲を送って拒否されている。結局それらを含む第1、2集が1869年に出版されると大好評となり、1880年に第3、4集が刊行された。
《ハンガリー舞曲集》に作品番号は付いていない。これが自作ではなく、伝統音楽の編曲にすぎないことをブラームスが慮ってのことであった(とはいえ、第11曲、第14曲、第16曲の主題は、完全にブラームスの創作であったらしい)。のちにレメーニは《ハンガリー舞曲集》の成功を知ると、これが盗作であるとして、ブラームスを相手に訴訟に持ち込んだ。結果はブラームスが「作曲」ではなく「編曲」としておいたことが幸いして、ブラームスが勝利した。
ブラームスは自分の《ハンガリー舞曲集》の成功に自信を得て、アントニン・ドヴォルザークに《スラヴ舞曲集》を作曲して収益を得るように助言している。もっともドヴォルザークは編曲ではなく、民族舞曲の性格と特徴を取り入れ、自作の主題によって曲集をまとめ上げた。なおドヴォルザークは、《ハンガリー舞曲 第4集》を管弦楽用に編曲している。
モーリッツ・モシュコフスキジョルジュ・シフラなどがピアノ独奏曲用に編曲している。
なお、この曲の第1集第1番は、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ『とんぼ』とともに、1889年12月2日にトーマス・エジソンの代理人の依頼で、ブラームス自らのピアノ演奏で蓄音機に録音された。これは、史上初のレコーディングとされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハンガリー舞曲」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hungarian Dances (Brahms) 」があります。




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