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ハリー・S・トルーマン : ミニ英和和英辞書
ハリー・S・トルーマン[はりーえすとるーまん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ハリー : [はりー]
 【名詞】 1. Harry 2. (n) Harry
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハリー・S・トルーマン : ウィキペディア日本語版
ハリー・S・トルーマン[はりーえすとるーまん]

ハリー・S・トルーマン(, 1884年5月8日 - 1972年12月26日)は、アメリカ合衆国の政治家。上院議員、第34代副大統領、第33代大統領を歴任。フランクリン・ルーズベルト大統領の死を受けて1945年副大統領から大統領に昇格。全米有色人種地位向上協会で演説を行い、公民権運動を支援した初めての大統領である。日本への原子爆弾投下については、彼が投下書類(投下命令書)を承認したとされる〔NHK総合 『その時歴史が動いた』No.333「模擬原爆パンプキン~秘められた原爆投下訓練~」2008年8月27日放映〕〔投下命令は陸軍戦略空軍司令官のカール・スパーツから陸軍長官のヘンリー・スティムソンと陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルに承認依頼が出された。スティムソンとマーシャルはそれをトルーマンに見せたとされているが、トルーマンによる正式な承認は記録されていない(長谷川毅『暗闘(上)』中公文庫、2011年、pp.322-325)〕。白人至上主義者団体クー・クラックス・クラン(KKK)の元構成員であった。〔McCullough, David. ''Truman''. New York: Simon & Schuster.〕
第二次世界大戦の終了から冷戦の始まり、国際連合CIANSAペンタゴン(国防総省)の創設および朝鮮戦争などに関与した。座右の銘は「the buck stops here」(直訳は「バック(ポーカーで用いられる親の印)はここで止まる」、意訳すると「責任は私が取る」かで、執務室の机にこの言葉を記した置物を置いていた。
ジョージ・W・ブッシュと並び、アメリカ大統領史上最低の支持率22%のホルダーである。
第二次大戦の終結や、ルーズベルトのニューディール路線を大まかに引き継いだことなど、アメリカ国内でトルーマンの評価は概ね高い。しかし、上記の一般市民に対する原子爆弾の使用、トルーマン・ドクトリン冷戦の幕開けによって、大戦終結も軍拡を進めアメリカの軍事大国化(軍産複合体)を推し進め、後のマッカーシズムに至る、反共主義的パラノイアの土台を敷いたことに対する批判が近年、進歩的歴史修正主義の観点から見直されつつある。〔 Goldstein, Robert Justin ''Prelude to McCarthyism: The Making of a Blacklist'' http://www.archives.gov/publications/prologue/2006/fall/agloso.html〕
== 生い立ち ==

1884年5月8日にミズーリ州ラマーでジョン・アンダーソン・トルーマンとマーサ・エレン・ヤングの息子として生まれた。トルーマンが6歳の時、彼の親はミズーリ州インディペンデンスに引っ越した。そこで人格形成の時期の大部分を費やした。1901年に高校を卒業し、その後銀行の事務職に就いたが、1906年に父親を手伝うために就農した。彼は大学卒業以上の学歴を持たない最後の大統領だった。
第一次世界大戦へのアメリカの参戦に際して、トルーマンは州兵に参加し士官となり、フランスで大戦の休戦時まで、大尉として砲兵部隊を指揮した。戦争終結後、インデペンデンスに戻り長年の恋人ベス・ウォーレスと1919年に結婚した。間もなく一人娘のマーガレットをもうけた。
トルーマンは最初の選挙戦に於いてクー・クラックス・クランの支援を得るため同団体に加入した。しかしクー・クラックス・クランが提示したカトリック教徒ユダヤ人の雇用の禁止に同意せず、脱退した。衣類販売業を共同で行った戦友であり、クラーク・クリフォードとともに後のイスラエル建国の承認に大きく役割を果たすユダヤ人のエドワード・ヤコブセンとの友情を保つことは、トルーマンとユダヤ人との複雑な関係のスタートだった。また、近年発見された彼の日記には、「ユダヤ人は実に利己的」といった記述があり、彼がユダヤ人に対する偏見があったことを証明していると考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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