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ハインツ・トレットナー : ミニ英和和英辞書
ハインツ・トレットナー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハインツ・トレットナー : ウィキペディア日本語版
ハインツ・トレットナー[ちょうおん]

ハインリヒ・「ハインツ」・トレットナー(, 1907年9月19日 - 2006年9月18日)は、ドイツ軍人1964年から1966年まで、第3代連邦軍総監を務めた。
== 経歴 ==
プロイセン王国軍人の息子として、ヴェストファーレン州(現ノルトライン=ヴェストファーレン州北部)ミンデンに生まれる。1925年にデュッセルドルフギムナジウムを卒業後、陸軍に入り第18騎兵連隊に士官候補生として配属される。1929年に少尉に任官。1932年11月から航空学校でパイロットとしての教育を受ける。1936年から1938年まで、フーゴ・シュペルレの副官を務め、コンドル軍団の参謀大尉としてスペイン内戦に従軍。帰国後参謀教育を受け、1938年1月より第7航空師団の降下猟兵連隊の参謀となった。
第二次世界大戦が始まると、クルト・シュトゥデント師団長の参謀少佐としてオランダ侵攻作戦を立案し、その功により騎士鉄十字章を受章した。1941年にはクレタ島の戦いに従軍、ついでバルバロッサ作戦ではスモレンスク北方での戦いに参加した。少将に昇進していたトレットナーは、連合軍のイタリア上陸後の1943年11月にヴェネツィアで編成された第4降下猟兵師団の師団長に就任。1944年までイタリア中部での戦闘に従事し、アメリカ軍第91歩兵師団と対峙した。1944年9月、ローマをめぐる戦闘での功により柏葉付鉄十字章を受章。ドイツ降伏後の1945年5月、アメリカ軍の捕虜となった。
1948年に釈放され、当初キリスト教の団体で働いた。1949年、デュッセルドルフのガラス販売会社で小売業者としての職業訓練を修了。1953年、ボン大学経済学法学を学び、1956年に卒業した。同年、新設のドイツ連邦軍に少将として入隊。北大西洋条約機構欧州連合軍最高司令部兵站部長としてパリに駐在した。1960年2月、第1軍団長に就任。1964年1月、第3代連邦軍総監に就任。1965年、組織運営上の問題をめぐってカイ=ウヴェ・フォン・ハッセル国防相や国防省官僚と対立。連邦軍の労働組合許可問題で国防省に無視されたと感じたため、1966年8月に辞任した。その後は隠退生活に入る。
レジオンドヌール勲章、英国王室ヴィクトリア勲章、米国のレジオン・オブ・メリット勲章、イタリア共和国功労勲章ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字星大綬章などを受章。2005年、コンドル軍団での過去を理由に国防省が空軍戦闘団の通称からヴェルナー・メルダースの名を削除した際、国家政策研究所の呼びかけに応じてこれに反対する宣言に署名した。このため同年のドイツ連邦軍創設50周年式典にも参加しなかった。翌年99歳の誕生日の前日に、メンヒェングラートバッハ近郊で死去した。トレットナーはドイツ国防軍の将軍の中で最後の生き残りであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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