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ノッポさん ( リダイレクト:高見のっぽ ) : ウィキペディア日本語版
高見のっぽ[たかみ のっぽ]

高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき) 1934年5月10日 - )は、日本俳優作家京都府京都市右京区太秦出身。
『なにしてあそぼう』『できるかな』(NHK教育、1967年 - 1990年)にて、一切喋らないキャラクター「ノッポさん」を務め上げた。放送終了後の現在でも「ノッポさん」の愛称で親しまれている。身長181cm。
==人物・概要==
京都府京都市右京区太秦の役者長屋に生まれ、4歳から東京市向島区(現在の東京都墨田区)に育つ。5人兄弟の第4子。小学校4年のとき岐阜県羽島郡笠松町に疎開し、高校2年までこの地で過ごす。帰京後、東京都立立川高等学校卒業。
父・嘉一(芸名は柳妻麗三郎(やなづま れいざぶろう)、松旭斎天秀(しょうきょくさい てんしゅう)、チャーリー高見など)は芸人、奇術師、俳優、工場長と様々な職業を経験し、第2次世界大戦後、芸人に復帰した人物。チャップリンの物まねを得意とし、京都のマキノ・プロダクションに俳優・柳妻麗三郎として在籍していた時期に嘉明が生まれた。その影響で、芸で身を立てる事を志す。フレッド・アステアを尊敬し、ダンサーとして芸歴をスタートさせたが、なかなか陽の目を見ず、自殺を考えたこともある。
30代半ばで、NHK教育『なにしてあそぼう』(後に『できるかな』)のノッポさん役に抜擢される。以後24年間しゃべらない(意思表示はジェスチャーだけの)キャラクターを演じ続け、国民的な知名度を得るに至った。『できるかな』の最終回(1990年3月)にノッポさんが初めて子供たちに語りかけた事は、当時の子供たちに衝撃を与えた。この最後の台詞はすべてアドリブだったが、放送終了後は街を歩いているといきなり大の大人が高見を見て泣き出すなど、反響の大きさに驚いたという〔asahi.com 2006年7月10日「しゃべるノッポさんは落語流」高見のっぽ 〕。
子供のことを小さい人と呼び、常に敬意を払って接している。
かつては放送作家としても活動しており、10年以上にわたり『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)などの筆頭構成作家として台本を手掛けた。また、最初期のオリジナルソング「ぼくわるかった」「傷だらけのぼく」「シャワシャワシャワー」「雨のふる日はぼくゴリラ」「しんぞうのうた」「つみきのうた」「たまねぎにんじん」「おさんぽ」等の作詞も担当、楽曲を提供した。その関係もあり、後年イベントステージや放送で、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』とNHK教育の『にこにこぷん』が局を超えた“夢の競演”を行なった際、その橋渡し役を行なったともいわれている。詳細は別項参照。
『できるかな』放送終了後は、絵本・児童文学作家としての活動を主としており、50冊近くの著書を上梓している。高見ノッポ名義で著作する事が多い。また、根強い“ノッポさん”ファンの声に応えてテレビ番組・企画に出ることも多い。1997年には『ノッポさんのパソコンとあそぼう』でNHK教育に再登場、パソコンを使った音楽制作DTMや、お絵かきのほか3Dグラフィックにもチャレンジ、注目を集める。また、このときは終始しゃべりを解禁し、久々の復帰と同時に優しい親しみのある声を披露。近年では、バラエティ番組『トリビアの泉』(フジテレビ)においてガチャピンムックと競演。その後『世界一受けたい授業』(日本テレビ)で再度“ノッポさん”としてテレビ出演を果たした。
2005年12月からは、NHK『みんなのうた』において、初の短編ミュージカル映画形式の『グラスホッパー物語』を歌い、自ら脚本・作詞・歌唱・振付も手がけた。翌年DVD・CDで同曲をリリース。71歳にして歌手デビューを果たし、異例の10ヶ月ロングラン放送を記録。海外の映像祭でも評価を得て、文化庁メディア芸術祭で受賞。2006年の『第57回NHK紅白歌合戦』にも特別出演、続いて第58回放送文化賞の受賞へとつながり、幼児・児童教育の分野を中心とする長年の功績が称えられた。名義は高見のっぽ
なお、上記の『グラスホッパー物語』を機に芸名を「高見のっぽ」「ノッポさん」にした。この反響を受けて、2007年4月には楽曲第2弾『ハーイ!グラスホッパー』を、『みんなのうた』で発表。その放送直前に放送された、NHK『にんげんドキュメント』の最終回「ノッポさん72歳の詩(うた)」では、第2弾の制作の舞台裏を10ヶ月にわたって追いかけた取材を通して、知られざる素顔(トレードマークの帽子を取った姿など)が紹介され、大きな反響を呼んだ。また、2007年8月にはNHK総合の番組『サラリーマンNEO』、2009年1月にはNHK教育の特番『あつまれ!キッズソング50〜スプー・ワンワン 宇宙の旅〜』にて、久々にゴン太君とのコンビで出演した。
カナヅチだったが、50歳になり腹が出てきたので水泳を始めた。上達が早く(平泳ぎの蹴りが良いと言われた)、プロのコーチから無料でコーチすると申し出があったほどであった。薦められて1986年、日本水泳連盟マスターズ関東大会平泳ぎ25m部門に出場し、金メダルを獲得した。1987年にはマスターズ世界大会に出場、60人中14位であった。
相手の年齢や立場にとらわれず、周囲に敬意をはらう姿勢や、その優しい人柄は多くの人から愛されている。
イギリスのロックギタリストジミー・ペイジと顔つきが似ている事を、みうらじゅんが宝島社の「VOWでやんす」において、「ジミー・ペイジとノッポさんは同一人物説」のコラムで指摘している。
2010年9月7日、森永製菓「森永ホットケーキミックス」ホームページにて、期間限定で同商品のイメージキャラクターを務めることが発表され話題を呼ぶ。森永製菓「森永ホットケーキミックス」では、トップページにノッポさんからのメッセージムービーが見られた。また、期間限定コンテンツ「ノッポさんの親子でつくろう!ホットケーキ」では、実際にノッポさんが子供たちと一緒にホットケーキ作りに挑戦したり、「小さいひと」の気持ちをよく理解するノッポさんだからこそ答えられるパパ・ママのお悩み相談室を毎月更新していた。
2013年より、自身が演出・選曲するひとり芝居「ノッポさんの宮沢賢治〜ぼくは賢治さんが大好き」公演をノッポさんの宮沢賢治制作委員会が企画・運営・開催。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高見のっぽ」の詳細全文を読む




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