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ネルー ( リダイレクト:ジャワハルラール・ネルー ) : ウィキペディア日本語版
ジャワハルラール・ネルー[ちょうおん]

ジャワハルラール・ネルーネール) (जवाहरलाल नेहरू, Jawaharlal Nehru, 1889年11月14日 - 1964年5月27日)は、インドの初代首相インド国民会議議長。インド独立運動の指導者。著述家。名前の最初に、「学者(最高位のバラモン)」という意味の「パンディト(पंडित, Pandit)」が付けられる場合もある。ファーストネームの「Jawāharlāl」は、ペルシア語起源で「ルビー」を意味する。
マハトマ・ガンディーとともにインド独立運動の最も著名な指導者となり、1947年に独立を達成したインドの初代首相に就任した。国際政治では「第三世界」の中心的人物として注目された。国内の経済政策では計画経済を推進したが、成功を収めるには至らず、晩年に行き詰まりを見せる中、死亡した。
死後に娘のインディラ・ガンディーは第5代・第8代首相、孫息子のラジーヴ・ガンディーは第9代首相となり、一族は「ネルー・ガンディー王朝」と揶揄されるようになった。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1889年、インド北部イラーハーバード(現在はウッタル・プラデーシュ州に属する)の富裕なバラモン階級の家柄に生まれる。父のモティラル・ネルーは弁護士であり、インド国民会議派の独立運動家として活動し、議長に選出されたことがある。また、モティラルは神智学に傾倒しており、その伝手でアニー・ベサントと知り合う〔Frank Moraes (2008). Jawaharlal Nehru. Jaico Publishing House. ISBN 978-8179926956. p.23〕。
ネルーはイギリスに渡り、名門ハーロー校に入学する。同校を卒業した後、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学し、自然科学を専攻した。1910年に同大学を卒業。そして1912年に弁護士の資格を取得して帰郷した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャワハルラール・ネルー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jawaharlal Nehru 」があります。




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