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ネリーキム : ミニ英和和英辞書
ネリーキム[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ネリーキム ( リダイレクト:ネリー・キム ) : ウィキペディア日本語版
ネリー・キム[ちょうおん]

ネリー・ウラジーミロヴナ・キム(Nellie Vladimirovna Kim, 1957年7月29日 - )は、ソビエト連邦(現ロシア連邦)の元女子体操競技選手。1976年モントリオール五輪で三つの金メダルと一つの銀メダルを獲得し、1980年モスクワ五輪でも二つの金メダルを獲得した。五輪大会の跳馬ゆかで10点満点の採点を受けた史上初の選手である〔〔いずれも、モントリオール五輪において。この五輪ではコマネチも段違い平行棒と平均台で五輪史上初の10点満点を記録している。キムより達成が3日早い。〕。1999年7月に国際体操殿堂入りした〔''NELLI KIM - Belarus'' International Gymnastics Hall of Fame 2008年10月6日閲覧。〕。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1957年7月29日、ネリー・キムはタジク・ソビエト社会主義共和国レニナバード州(現タジキスタン共和国ソグド州)の街シュラブで、朝鮮系ソビエト人の父ウラジーミル・キムとタタール人の母アルフィヤの長女として生まれた。キムは9歳のとき、カザフスタンのチムケントにあるスパルタクスポーツ協会青少年スポーツ学校に入学した〔Kim Nellie, ''Schastlivyy pomost (Lucky Gymnastics Platform)'', Moscow: Molodaya Gvardiya, 1985.〕〔''КИМ Нелли Владимировна (гимнастика спортивная)'' Belarus Olympic Committee 2008年10月6日閲覧。〕。
弟のアレクサンドルと妹のイリーナも体操学校に入って、しばらくの間訓練を受けていたが、アレクサンドルは背が低かったので中学校の同級生にいじめられ、ボクシングを選んで体操学校を辞めてしまった。また、ネリーが自分より才能があると思っていたイリーナも、頻繁に通わなくてはならないため体操学校を辞めた〔。
キムのトレーナーはウラジーミル・バイディンと妻のガリナ・バルコワだった。入学したばかりのキムを見て、その生来的な気品と才能に強い印象を受けたバイディンは彼女に自分のクラスへ入るよう勧めていた〔''Nellie Kim'' By Hanna Collins. 2008年10月6日閲覧。〕。当初、キムは仲間の多くと比較して柔軟性が充分ではなかったが、優秀な技術と困難な訓練で、すぐにそれを埋め合わせることができた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ネリー・キム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nellie Kim 」があります。




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