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ヌゴニザシェ・マクシャ : ミニ英和和英辞書
ヌゴニザシェ・マクシャ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヌゴニザシェ・マクシャ ( リダイレクト:ンゴニザシェ・マクシャ ) : ウィキペディア日本語版
ンゴニザシェ・マクシャ

ンゴニザシェ・マクシャ、またはヌゴニザシェ・マクシャNgonidzashe "Ngoni" Makusha、男性、1987年3月11日 ‐ )は、ジンバブエ陸上競技選手。専門は走幅跳および100m。走幅跳では8m40の自己ベストを持つ、2011年大邱世界選手権の銅メダリスト。100mではアフリカ歴代3位の9秒89の自己ベストを持つ。走幅跳(室内含む)、100m、室内60mのジンバブエ記録保持者。
走幅跳と100mでハイレベルな記録を持ち、2011年のNCAA選手権(全米大学選手権)で史上4人目となる走幅跳100mの両種目制覇(同年)を達成。2011年大邱世界選手権では走幅跳で銅メダルを獲得し、全種目を通じてジンバブエ勢初となる世界選手権のメダリストに輝くなど活躍した。
== 経歴 ==
2007年アフリカ競技大会に出場し、1走を務めた4×100mリレー決勝で39秒16のジンバブエ記録を樹立して銅メダルを獲得した。
2008年北京オリンピックの走幅跳に出場すると、予選を8m14(0.0)で突破し、ジンバブエ勢初のオリンピックファイナリストとなった。決勝では8m19(+0.6)と予選より記録を伸ばしたが、3位のとわずか1cm差の4位で銅メダルを逃した。
フロリダ州立大学在籍時に数々のタイトルを活躍した。その中でも特筆すべきものは、2011年NCAA選手権の走幅跳と100mの両種目制覇である。走幅跳では決勝で8m40をマークし、自身が持つジンバブエ記録を更新して優勝した。100mでは決勝で9秒89をマークし、1996年にアト・ボルドンがマークした9秒90を更新するNCAA記録で優勝した。これによりマクシャは、1925年のウィリアム・デハート・ハバード、1935年と1936年のジェシー・オーエンス、1981年のカール・ルイスに次ぐ、史上4人目となる走幅跳と100mの両種目制覇を達成した。マクシャはこの年、アメリカの最優秀大学生陸上競技選手に与えられるの男子選手部門を受賞した。
マクシャは2011年NCAA選手権の100mで9秒89をマークしたことにより、ナイジェリアオルソジ・ファスバ(自己ベスト9秒85)、ナミビアフランク・フレデリクス(自己ベスト9秒86)に次いで、100mアフリカ歴代3位に名を連ねた。なお、マクシャが9秒台をマークしたのはこの時が初めてではなく、2011年4月に行われたACC(アトランティック・コースト・カンファレンス)選手権の決勝で9秒97をマークしている。これは1990年にFabian Muyabaがマークした10秒15を更新するジンバブエ記録であり、ジンバブエ人が初めて10秒の壁を突破した瞬間だった。
2011年大邱世界選手権では100mと走幅跳に出場すると、100mは準決勝まで進出するも10秒27(-0.8)の組5着で敗退した。しかし、走幅跳では8m29(+0.3)をマークして銅メダルを獲得した。これによりマクシャは、男女全ての種目を通じてジンバブエ初の世界選手権メダリストとなった。
2012年5月の練習中にアキレス腱を断裂してしまうが、2013年5月に行われたダイヤモンドリーグ第2戦の上海ゴールデングランプリに出場し、約1年ぶりに国際舞台に復帰した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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