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ニュルンベルグ裁判 : ミニ英和和英辞書
ニュルンベルグ裁判[ばん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さい]
 (n-suf) judge
裁判 : [さいばん]
  1. (n,vs) trial 2. judgement 3. judgment 
: [ばん]
 (n,n-suf) size (of paper or books)

ニュルンベルグ裁判 ( リダイレクト:ニュルンベルク裁判 ) : ウィキペディア日本語版
ニュルンベルク裁判[にゅるんべるくさいばん]

ニュルンベルク裁判(ニュルンベルクさいばん)は、第二次世界大戦においてドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判である(1945年11月20日 - 1946年10月1日)。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の党大会開催地であるニュルンベルクで開かれた。日本極東国際軍事裁判(東京裁判)と並ぶ二大国際軍事裁判の一つ。
最初の主な裁判(英語Trial of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal, IMT)と、それに続く、ニュルンベルクを占領統治していたアメリカ合衆国による12の裁判(英語:Nuremberg Military Tribunals, NMT. 1949年4月14日まで行われ、一般には「ニュルンベルク継続裁判」として、最初の主な裁判とは区別される)で構成された。
== 前史 ==

=== 戦前の認識 ===

いわゆる「人道に対する罪」という言葉の淵源は1909年のハーグ陸戦条約に見られるが、用語として成立したのは戦後になってからだった。第一次世界大戦後の1919年1月、連合国は、国家元首をも含む戦争開始者の責任を裁く国際法廷の設置について討議を行った。この方針は採択されなかったものの、ヴェルサイユ条約に前ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世を国際条約の信義に背いたとして国際法廷で裁くという条項に反映された。しかしヴィルヘルム2世の裁判は実現せず、またドイツの戦争犯罪容疑者を国際法廷で裁くこともドイツ側の拒否にあい、として行われたドイツ国内の戦犯裁判は、ほとんど形式的なものに過ぎなかった。またオスマン帝国アルメニア人虐殺に対しては、連合国側の15人委員会が「人道に対する罪」として取り上げようとしたさい、アメリカおよび日本は「これを認めれば、国家元首が敵国の裁判にかけられることになる」として反対した。またアメリカは国際法廷の設置そのものに前例がないとして反対した〔「戦争犯罪と法」多谷千香子(岩波書店)P.3-4
その後も国際法廷に関する協議は行われていたが、明確な条約は締結されなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニュルンベルク裁判」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nuremberg trials 」があります。




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