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ニッコー観光バス : ミニ英和和英辞書
ニッコー観光バス[にっこーかんこうばす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [かん]
  1. (n,n-suf) look 2. appearance 3. spectacle 
観光 : [かんこう]
  1. (n,vs) sightseeing 
観光バス : [かんこうばす]
 (n) tourist bus
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

ニッコー観光バス : ウィキペディア日本語版
ニッコー観光バス[にっこーかんこうばす]

ニッコー観光バス株式会社は、東京都品川区に本社を置く観光バス事業者である。2005年から2012年までJ-COACHグループに参加していた。
5360人の大型バスによる運行が中心で、定期送迎や乗務員派遣なども行っている。車体に手塚治虫がデザインしたカンガルーがあしらわれ、「カンガルーバス」として運行している。
元々は東京都を中心にハイヤータクシーを運行する日本交通株式会社の観光バス部門であったが、2005年になって独立したものであり、現在は同社とは資本関係を有さず、2012年4月には岡山県を中心にバス・軌道事業を展開している両備グループ傘下となっている〔【両備ホールディングス】東京都内観光バス会社「ニッコー観光バス㈱」事業継承 (両備グループ 2012年4月5日)〕。
ハイヤータクシーに関しては日本交通 (東京都)を参照。
==沿革==

*前身である日本交通は、1949年からGHQ(米空軍)の特定バスの運行を行っていたが、当時はバスを所有せず借用により運行していた。これが、1950年に松枝観光自動車商会(埼玉県大宮市)を買収し、1台のバスを引き継ぐ。翌年には大型バス14台を有する日本遊覧自動車(株)を買収し、本格的にバス事業へ進出した。1953年6月になってこれら事業を継承し、日本交通(株)観光部が創設される。
*日本交通買収時はいすゞ車が主体であったが古くなった車両が多かったため、日本交通の観光バス部門となってからは、早急に新型バスを増強し体質改善を図る。その結果、1955年には保有車の3分の2は日野車になったとのこと。
*終戦まもなくはGHQ関連の特定バス業務が多かったものを、旅行産業の進展に伴い1957年には「関西名所めぐり観光バスの旅」を実施する。読売新聞社と共催で、東京から南紀・京阪神を一周する長距離バスツアーで、34人の乗客とともに11日間、約2,000kmを無事走破、長距離観光バス旅行の草分け的存在ともなった。
日本遊覧自動車株式会社
*1948年5月、設立。
*1951年6月、日本交通が日本遊覧自動車を買収。
*1951年7月、本社ならびに九段営業所(靖国神社境内)を文京区氷川下町へ移転。
日本交通株式会社
*1953年6月、日本遊覧自動車の営業を日本交通が譲受し、観光部(小石川営業所)として開設される。。
*1953年12月、山王下営業所(千代田区永田町)へ移転。
*1954年3月、新型ディーゼル車を採用。
*1954年7月、新型アンダーフロアバスを採用。
*1956年1月、「伊勢詣で観光バスの旅」出発、超距離観光バス旅行の草分けとなる。
*1957年5月、外国人観光用として新大型バス1台を増車。
*1957年11月、関西への長距離観光バス旅行を実施。
*1958年3月、車体色を変更(前部に濃いブルーのストライプが入る)。
*1958年11月、北陸・中部への長距離観光バス旅行を実施。
*1959年6月、近畿・四国への長距離観光バス旅行を実施。
*1959年9月、東北への長距離観光バス旅行を実施。
*1960年7月、春日町営業所(文京区春日)へ移転。春日町営業所は、当時としては珍しい2階式車庫で、1階に8台、スロープで登った2階に19台収容できたとのこと。
*1962年11月、車体色を新デザインに変更する(いわゆる「青帯バス」)。
*1964年3月、バスガイド寮が完成(文京区関口町)。
*1967年4月、日本テレビNTVニュースフラッシュにおいてCMを放映。
*1968年5月、皇太子明仁親王東京ガス豊洲工場見学の際に御料車として使用される。
*1969年1月、初代カンガルーバス登場(茶色)。
*1969年11月、新カンガルーバス登場(ベージュとブルー)。手塚治虫デザインのカンガルーが採用される。
*1970年9月、観光常盤台営業所(板橋区前野町)へ移転。バスガイド寮も同時に移転。
*1972年3月、カンガルーバスのデザインを一部変更(窓周りのブルーを窓下帯に)。
*1982年6月、皇太子明仁親王の東京ガス袖ヶ浦工場、東京電力袖ケ浦火力発電所視察の際に御料車として使用される。
*1984年5月、サロンタイプ車両を導入。車体色に「レインボーカラー」を採用。
*1985年つくば科学万博「スーパーシャトルバス」運行事業者として連接バス2台の運行を請け負う。
*1986年3月、ハイデッカータイプのサロンカー(三菱ふそうエアロクイーン)を導入。
*1990年、車体色を桜吹雪デザイン(現行)に変更。
日本交通観光バス株式会社 →ニッコー観光バス株式会社
*1998年4月、設立。
*1998年6月、日本交通の観光バス部門を分社化し、日本交通観光バスに営業を譲渡。
*2003年3月、特定バス事業を廃止。
*2004年3月、日本交通本社内(品川区八潮3-2-34)へ移転。
*2005年9月、日本交通が全株式を(株)ジェイ・コーチへ売却し、日本交通傘下から離れJ-COACHグループに参加。
*2008年10月、ニッコー観光バス株式会社へ商号変更。
*2009年9月、本社を品川区八潮3-2-32へ移転。
*2012年4月、全株式を両備ホールディングスへ譲渡し、両備グループ入りする。両備グループ代表の小嶋光信によれば7年前に一度経営譲渡を打診された時には断ったが、東日本大震災の影響で経営が悪化したために再度打診を受け、両備グループも地盤である岡山県地域の減収を首都圏で補う経営シフトを敷くようになったことから譲受を決意したという〔ニッコー観光バスの両備グループ入りキックオフ! (両備グループ 代表メッセージ)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニッコー観光バス」の詳細全文を読む




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