翻訳と辞書
Words near each other
・ ニコライ・ムラヴィヨフ
・ ニコライ・ムラヴィヨフ・アムールスキー
・ ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー
・ ニコライ・メゼンツェフ
・ ニコライ・メゼンツォフ
・ ニコライ・メットネル
・ ニコライ・メトナー
・ ニコライ・メトネル
・ ニコライ・モリロフ
・ ニコライ・モロシュキン
ニコライ・モロゾフ
・ ニコライ・ヤロシェンコ
・ ニコライ・ユジェーニチ
・ ニコライ・ユデニッチ
・ ニコライ・ユデーニチ
・ ニコライ・ヨルゲンセン
・ ニコライ・ラコフ
・ ニコライ・ラッテリ
・ ニコライ・ラドフスキー
・ ニコライ・リネウィッチ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ニコライ・モロゾフ : ミニ英和和英辞書
ニコライ・モロゾフ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ニコライ・モロゾフ : ウィキペディア日本語版
ニコライ・モロゾフ

ニコライ・モロゾフロシア語:, ラテン文字:、1975年12月17日 - )は、ロシア生まれ、アメリカ在住のフィギュアスケートコーチ、振付師。1990年代にはアイスダンスの選手として活躍し、ベラルーシ代表としてタチアナ・ナフカと組んで長野オリンピックに出場した。フィギュアスケーターのカロリヌ・ドゥアラン、アイスダンスの2003年世界チャンピオンでフィギュアスケート振付師のシェイリーン・ボーンはいずれも元妻。
== 経歴 ==
16歳までシングルの選手だったが、同じタチアナ・タラソワチームのイリヤ・クーリックの前に限界を感じアイスダンスに転向〔「フィギュアスケート振付師ファイル」『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、pp.76-77〕。1994年世界選手権アゼルバイジャン代表として出場。1998年にはベラルーシ代表としてタチアナ・ナフカとともに長野オリンピックに出場、16位となった。この年を最後に競技生活から退く。
引退後はタチアナ・タラソワのアシスタントとなり、間もなく振付師としての才能を示し始めた。1999-2000シーズンのバーバラ・フーザル=ポリ & マウリツィオ・マルガリオ組『ロード・オブ・ザ・ダンス』、そして2000-2001シーズン、アレクセイ・ヤグディングラディエーター』で脚光を浴び、翌2001-2002シーズンには『Winter』、『仮面の男』でヤグディンを世界トップに返り咲かせた〔上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.50〕〔小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.90〕2003年にタラソワと袂を分かち独立。その後、荒川静香トリノオリンピック金メダリストに、安藤美姫を不調から立ち直らせて2007年2011年の世界選手権優勝に、高橋大輔を2007年世界選手権2位に導くなどの実績を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコライ・モロゾフ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.